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「モチベーションはゼロで練習もしたくなかった」大友愛のバレーボール人生を変えた2人の恩師の存在 

text by

林田順子

林田順子Junko Hayashida

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photograph byShigeki Yamamoto

posted2020/11/11 11:00

「モチベーションはゼロで練習もしたくなかった」大友愛のバレーボール人生を変えた2人の恩師の存在<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

バレーボールが嫌いになりそうに

 でも、最初に引退をした時は、バレーボールが嫌いになりそうなところでした。

 ファンの方がプレーを応援してくれるのはすごくうれしかったけど、買い物している様子など普段の自分のことをネットに書かれるのが本当に辛くて。純粋にバレーボールをしたいのに、アイドルのように扱われることが嫌になってしまったんです。それで、妊娠したこともあって、引退を決意しました。

 ところが、当時の女子日本代表監督の眞鍋(政義)さんが、まだ娘がお腹にいる時から「次のオリンピックを考えて、復帰しないか」って声をかけてきたんです。

 ちょうど世界選手権のある年で、普段は10月前後のリーグ開幕が、年明けスタートになる。

 娘の出産予定日が8月だったので、「4カ月あれば戻れるだろ?」って言われたんです。

 この時、私と眞鍋さんは初対面。すごい人だということも知らなかったので、第一印象は「え、何この人?」って。これから初めての出産を控えていて、やっとバレーボールをやめたのに、「何言ってるの?」ってちょっと敵対心が出てしまったんです(笑)。

 今思えば、眞鍋さんの冗談とかわかりますがそのときは本気に受け取ってしまって。

 今でも眞鍋さんには「あの時、お前めっちゃ感じ悪かったで。あんな性格悪い女だと思わなかったわ」って言われます(笑)。

復帰するなら今しかない

 その後も3~4回、知らない番号から電話がかかってきたり、人伝いに「もう1回会って欲しいって言ってるよ」って言われ続けて。そのたびに「いやだ」って、2年半ぐらい断り続けていました。

 ある日、現役時代に一緒にプレーをしていた、先輩の仁木(希)さんに「ご飯食べへん?」って言われて行ったら、そこに眞鍋さんも来たんですよ(笑)。

「またいる、この人」って思いながらも、食事中ず~っとアピールをされて、仁木さんからも「私もそんなに長く現役やらないから、一緒にやろうよ」って言われて。

 当時は26歳で、復帰をするならギリギリの年齢。何も知らないチームに行くよりも一緒に戦ったことがある人がいる方がいいし、復帰するなら今しかないかな、と思って戻ることに決めました。

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