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「一言もJを目指すとは言っていない」いわきFC 震災と台風被害を乗り越えての目的地とは
 

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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posted2020/10/23 11:00

「一言もJを目指すとは言っていない」いわきFC 震災と台風被害を乗り越えての目的地とは<Number Web> photograph by Yasuo Kawabata

昨年、JFL昇格を決めた際に大喜びする、いわきFCイレブン。とんとん拍子でJリーグ入りなるか

3.11をJヴィレッジで体験した選手も

 そんな故郷に震災の翌年、東京からUターンした元地元高校サッカー部員がチームを作り、そのチームを復興支援でいわき市に物流センターを設けたドーム社(アンダーアーマーの日本総代理店)が発展させ……。

 それが現在のいわきFCである。

 付け加えれば、チームには「3月11日」をJヴィレッジで体験した選手もいる。

 JFAアカデミー出身の平澤俊輔は、昨春Jヴィレッジ再開記念試合でプレーしたとき「ここでまたプレーできる日が来るとは思っていなかった。避難した後もニュースなどで変わり果てていく姿を見てきたので。でも今日久しぶりに来たらロッカーもピッチも昔のままで嬉しかった」と感慨深げに語っていた。

 地震発生時にはまさにグランドで練習をしていた。そして避難するまでの3日間を施設内で過ごした。だからこそのリアルな感慨だった。

 もちろん福島県2部リーグからスタートしたチームが、県1部、東北2部、東北1部、そしてJFLと毎年昇格してきた過程では、選手の大半が入れ替わってきた。

 それでもクラブのオリジンは継承されている。

 今シーズンの(4カ月遅れの)JFL初戦。リスタートの重要な一戦をチームはJヴィレッジスタジアムで戦い、そのゲーム前に田村監督はあの日からのJヴィレッジの歩みを選手に示した。

「グランドがアスファルトの駐車場に変わり、そこに再び芝生を張ってサッカーができるようになるまでの写真を選手たちに見せました。今日ここで僕らがプレーできるまでにはいろいろな人がいることを……」

あえて「来年はJに!」と言わずに

 出発点がリアルだから、見据える目的地もまたブレない。

 今年1月、新シーズンのキックオフイベントで、マイクを握った大倉智社長はこう言い切った。

「我々は『Jリーグを目指す』なんて一言も言ってません」

 正直これには驚いた。確かに(田村監督同様)大倉社長も折に触れ、そう発言してきた。

 しかし、このときの会場はショッピングモールの特設ステージだった。大倉自身も話の皮切りでは「お集りのサポーターのみなさん、そして通りすがりの買物中のみなさん、いわきFCです。東北リーグから昇格し、今年から全国リーグのJFLを戦います」と挨拶し、サッカーに詳しくない“通りすがり”の人たちからも拍手を浴びていたのだ。

 普通に考えれば、「来年はJリーグに!」と打ち上げた方が関心を集めやすいに決まっている。

 にもかかわらず「……一言も言っていません」と言い放ったのである。

【次ページ】 「目指すのはJリーグではなく……」

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