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「『ラストサムライ』を観たか?」「オーのバットを持ち帰って……」MLB殿堂入り選手たちの“素顔”
text by
ナガオ勝司Katsushi Nagao
photograph byGetty Images
posted2020/10/18 17:00
22年に及ぶ長い現役生活で通算2517安打、通算10度のオールスター選出、通算5度のゴールドグラブ賞を獲得したジョー・モーガン
「今じゃマイナーの選手でもこういう形状のバットを使っているが、アメリカ人がこういうバットを最初に見たのは日本でのことなんだ。カージナルスの一員として日本へ行った時(1968年の日米野球)、日本のホームラン王であるサダハル・オーが使っていたのがこの形さ。打撃練習で彼がフラミンゴみたいに片足を上げて、次から次へと外野スタンドに力強い打球を打ち込むのを見て、皆が呆気に取られたものさ。我々のような野球選手は集まればすぐ、打撃の話になる。
で、通訳を通じてオーの考え方を尋ね、真似してみたのだが、あの打ち方は彼にしかできない。そこで誰かが『このバットなら真似できる』と言い出して、オーのバットをアメリカに持ち帰り、こっちでも作り始めたのが今でも続いているってわけさ」
まるで孫にお伽話を聞かせるお爺さんのように、ブロックさんは楽しそうに一つ、一つの言葉を丁寧に繋いで話してくれた。
3640奪三振を記録した“伝説の名投手”
8月31日に75歳で亡くなられたトム・シーバーさんは、モーガンさんやブロックさんとは違った雰囲気の人だった。
メッツやレッズなどで活躍したシーバーさんは1967年のナ・リーグ新人王を筆頭に、通算3度のサイヤング(≒最優秀投手)賞を獲得するなどして通算311勝、3640奪三振を記録した伝説の名投手である。ご本人に初めて会った……というか目撃したのは子供の頃で、日米野球にレッズの一員として来日した際、甲子園球場で行われたレッズ対日本選抜の試合を観に行った時のことだ。
小雨降る試合中、自分たちが座っていた三塁側のアルプス席から真正面に見えた左翼のラッキーゾーン(当時は両翼後方にホームラン量産のための金網のフェンスがあり、その中にブルペンがあった)が急に賑やかになった。『なんだろう?』と身を乗り出すと、レッズの選手が外野席に群がる人々にボールを投げ込んでおり、近くにいた知らない大人がその中の一人=上背はないのにやたら横幅の広い頑強な体つきの選手を指差し、「あれがシーバーや」と教えてくれた。
日本人はどこへ行っても「じっと見ているだけで……」
そのシーバーさんに「再会」したのは、同時多発テロで活動停止になったMLBが再開した2001年の9月21 日のことだ。ニューヨーク・メッツの旧本拠地シェイ・スタジアムに取材に行った際、メディア向けの食堂にその「上背はないのにやたら横幅の広い頑強な体つき」の人がいた。シーバーさんは当時、古巣の一つメッツのテレビ解説をしていて、その迫力のある体格に押されながらも、勇気を出して挨拶し、子供の頃の思い出を伝えた。シーバーさんは「そうかい? 会えて嬉しいよ」という社交辞令を口にした後、こう言葉を続けた。