酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
星稜OB監督の「脱エリート/自分で考える野球/髪型自由」 大阪で指導法を変えたワケ
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byKou Hiroo
posted2020/10/05 11:00
大阪学芸高校の監督を務める小笹拓。星稜OBという肩書がある中で、新たな指導スタイルを実践している
「野球が好きであり続けてもらうこと」
「3年目に指導が解禁になり、1年間のコーチを経て4年目から監督になりました。私が一番大事にしたのは『野球を好きであり続けてもらうこと』。私は現役時代、野球はどちらかと言うと嫌いでした。
もちろん高校の3年間、山下監督にはかわいがっていただきました。(指導生活の)晩年でしたが、先生の熱意にも触れました。試合には出続けていたし、練習も思う存分やりましたが、その一方で勝つことが義務付けられている息苦しさをずっと感じていたのも事実です。
周囲も“絶対に甲子園”。だから当然、指導が厳しくなるし、プレッシャーも感じる。そんな中で“俺は何で野球をやっているんだろう”という気分になって、モチベーションが下がったこともあります。
大学でも同じような感じでした。1年秋にはメンバー登録され、2年春から試合に出始めましたが、上下関係が厳しくて“上級生は神様、下級生は奴隷”。昔ながらのやり方で息苦しさもあるし、野球の面でも失敗がなかなか許されない状況でひたすらプレッシャーと戦い続ける日々でした。現役時代は、野球が好きとは言えなかったんですね」
就任直後は「野球エリート」の指導だった
しかしながら、監督になった直後は、自らが学んだ「野球エリート」の考え方で指導をしていた。
「私が大阪学芸学校に入るくらいのタイミングで、学校側は野球に力を入れたいと思い始めたようです。私の経歴もあって、学校の期待感も大きかった。
2016年に監督に就任したときは“小笹が監督になったら、いろいろ変わるんじゃないか”とも言われました。私も期待に応えるべく、子供たちに“お互い、結果出していこうぜ”みたいなプレッシャーを与えていたと思います。その気持ちがちょっと強すぎたかもしれません。試合でミスをしたら変なムードになるし、勝てなかったら嫌な空気になるし。
そのうち子供たちの顔を見ていて“つまんなそうな顔をしているな。現役時代の自分と同じだな”と思うようになりました。
自分が現役だった時代に嫌だったことを子供たちに押し付けている。自分と一緒じゃないか、と思うようになって、自分が嫌だったことは子供たちも嫌なんだから思い切ってやめようと思いました」