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星稜OB監督の「脱エリート/自分で考える野球/髪型自由」 大阪で指導法を変えたワケ

posted2020/10/05 11:00

 
星稜OB監督の「脱エリート/自分で考える野球/髪型自由」 大阪で指導法を変えたワケ<Number Web> photograph by Kou Hiroo

大阪学芸高校の監督を務める小笹拓。星稜OBという肩書がある中で、新たな指導スタイルを実践している

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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 その精悍な風貌からは、厳しい練習に耐えてトッププレイヤーとして活躍した選手ならではの気迫のようなものが見て取れる。しかし大阪学芸高校の監督・小笹拓が目指すのは「エリート野球」ではない。もっと広く、のびやかな視点で野球の未来を考えている。

「富山県出身で、本格的に野球を始めたのは小学4年生のときです。小中学校と公立の学校でしたが、中学の時に軟式野球の全国大会に出場して、星稜高校の山下智茂監督の目に留まり、声をかけていただき入学しました」

 その山下智茂監督は2005年に引退した。監督生活最晩年に差し掛かっていたが、その野球に打ち込む姿には大きな影響を受けた。その中で小笹は1年春から正捕手になったが、甲子園に進むことはできなかった。

 卒業後は立教大学に進み、ここでも正捕手として活躍した。卒業後は野球への思いがさめやらず、独立リーグ・BCリーグの石川ミリオンスターズに入団。1シーズンプレーしたのちに「教員」「指導者」への思いが芽生える。

立教に戻って2年間かけて教員免許を

「大学時代は教職課程をとっていなかったので、科目履修生として立教大学に戻って2年間かけて免許を取得しました。この間、野球は一切していません。勉強だけの日々でした」

 そして大阪の私学、大阪学芸高校に教員として赴任した。ただし独立リーグでプレーしており、プロアマ規定に抵触するため、2年間は野球部の指導せず。顧問としてアドバイスはしたが野球部を外から見ていた。

 大阪学芸高校は甲子園出場経験はない。着任の時点では夏の地方大会で2~3回戦まで進出できるかの高校だった。

【次ページ】 「野球が好きであり続けてもらうこと」

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