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ハンガリー代表を世界最強に。イングランドでは裏切り者と言われた改革者「ジミー・ホーガン」とは?
text by
ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni
photograph byAstonVillaArchives
posted2020/09/07 07:00
フレデリック・リンデル(左)は、ジミー・ホーガンを信頼した唯一のイギリス人指導者の1人だ。
だが、今回ばかりは言い訳はきかなかった。《ギャロッピング・メイジャー》の異名を持つキャプテンのフェレンツ・プスカシュに率いられたハンガリーが、6対3とイングランドを完膚なきまでに叩きのめしたのだから。内容的にはさらに点差が開いていてもおかしくなく、ハンガリーのクオリティはイングランドを遥かに超えていた。その圧倒的なパフォーマンスに、10万人の大観衆は完全に打ちのめされたのだった。
観衆のなかにただひとり、ハンガリーのプレーのひとつひとつを目を輝かせながら見つめている人物がいた。すらっとした体躯。自らがコーチするアストンビラのユースチームの少年たちを傍らに従えたその人物こそは、このとき齢71歳に達していたジミー・ホーガンその人であった。
試合の後、ハンガリーの役員やスタッフたちは、ホーガンへの賛辞を次々と口にした。
「私たちがサッカーについて知っているすべては、ミスター・ホーガンから学んだことばかりだ」と、圧倒的なレベルの違いに呆然とするイングランドプレスに向かいサンドル・バルチ・ハンガリー協会会長は力強く語った。
監督のグスタボ・セベシュも称賛を惜しまなかった。
「今日、われわれがあなた方に披露したのは、すべてジミー・ホーガンが教えてくれたものだ。ハンガリーサッカーの歴史の中で、彼の名は金字塔として輝いている」
自国では徹底して無視された「改革者」
だが、イングランド側の反応は異なっていた。翌日の新聞に記されたハンガリー人たちのホーガンへのオマージュを読んでも、その意味を誰も理解できなかった。それほどまでにホーガンは、母国では無名だった。また、協会幹部や主要メディアの「そいつは誰だ?」「そんな奴知らんぞ!」といった類の反応も、尊大であるのは否めなかった。イングランド代表のビリー・ライト主将は、試合後に複数の人々が「ホーガンこそは裏切り者だ」と糾弾するのを聞いたという。
この試合後の混乱した状況こそが、ホーガンの指導者としての姿を象徴していた。自国では徹底して無視されながら、赴任したすべての国で高く評価され、改革者として崇拝すらされる。ホーガンはそんな人生を辿ったのだった。