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国立大、大手企業→J1広島の広報。
大迫勇也と戦った感動をもう一度。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph by2020 S.FC

posted2020/08/31 08:00

国立大、大手企業→J1広島の広報。大迫勇也と戦った感動をもう一度。<Number Web> photograph by 2020 S.FC

今年1月からサンフレッチェ広島の広報としてサッカー界へ復帰した浜田さん。高校時代は全国優勝を経験した。

優勝の瞬間、スタジアムが揺れた。

 浜田が大迫とマッチアップする機会は1回しかなかったが、CBの井林らが奮闘する中、果敢にプレスバックを仕掛けて、大迫に自由を与えなかった。

「大迫選手はやっぱりボールの持ち方も含めて凄みというか、簡単には奪えないオーラが出ていましたね。本当に警戒しまくりました。実際にめちゃくちゃ上手いし早いし、シュートも上手い。本当に特別な選手だと対戦して感じたし、彼にボールが入るとチャンスになるとわかっていたので、最大限ケアしました」

 優勝の瞬間、スタジアムが揺れた気がした。

「もう最高の光景でしたし、物凄く興奮しました。優勝して広島に帰った後がもっと凄くて、メディアの方もそうだし、県民の皆さんが心から祝福していた。地元・広島が本当に盛り上がっているのがわかったし、『こんなにたくさんの人に応援されていたのか』と本当に感動しました」

 浜田自身も大会優秀選手に選ばれた。

SHCの講習を受講した浜田。

 あれから10年以上の月日が経過した。今も自己紹介の時は「あの大迫勇也に勝った広島皆実の選手」という枕詞がついてまわる。

「もちろんそれは大迫選手がロシアW杯で大活躍をし、今も日本最高峰のストライカーとしてプレーしているからこそ。こうしてあの時の優勝を話題にしてもらったり、自分を紹介する1つのフックになっているのは、今も心から感謝しています。でも、それを超える何かが欲しいという思いがずっとあるんですよね。そうなると僕がそれを超えるためには、やっぱりサッカーで何かを達成しないといけない。それが僕の信念のベースにあるからこそ、サッカー界に戻ってきたというのはあります」

 マレーシアから帰ってきた後、彼は凸版印刷の業務に復帰すると共に、スポーツ経営人材の育成と知恵の集積を目指す公益財団法人スポーツヒューマンキャピタル(SHC)のスポーツビジネスマスターコースを受講。Jリーグが創設した同団体で、実際にJリーグやスポーツクラブで働いている人間と、また浜田のようにこれから目指す人たちが、約30人のクラスで分けられ、半年間にわたってスポーツビジネスを意欲的に学んだ。

「できることなら地元のサンフレッチェを盛り上げたいと思うようになったんです。そのためにはまずはスポーツビジネスの基本メカニズムや実際の現場の話を聞いて学び、自分はどのような形で貢献できるかを模索していました。それにSHCは出口として就職斡旋をやっていますし、ノウハウを学びながら進路を掴めるリアルな場所でした」

【次ページ】 茶島、井林と再会を果たした。

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