“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
国立大、大手企業→J1広島の広報。
大迫勇也と戦った感動をもう一度。
posted2020/08/31 08:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
2020 S.FC
「大迫半端ないって」
この“名言”が生まれた第87回全国高校サッカー選手権大会。鹿児島城西高校のエースとして臨んでいた大迫勇也は、準々決勝まで4試合連続2ゴール、準決勝で1ゴール、決勝でも得点を挙げて歴代最多得点記録を「10」に塗り替えた。
まさに「大迫フィーバー」に沸いた大会で唯一、鹿児島城西に土をつけたチームがある。優勝した広島皆実高校だ。
鹿児島城西との決勝戦では大迫に記録更新となる先制弾を浴びたが、すぐに逆転に成功。一時は同点に追いつかれたものの、66分に勝ち越し弾を挙げると、そのまま1点のリードを守り切って見事初優勝を手にした。
この試合、背番号7を背負い、ボランチとして攻守の要となっていた浜田晃は、現在J1サンフレッチェ広島の広報としてサッカー界に携わっている。
「広報として選手の価値をどう高めていけるかをサポートしながら、人と人をつなげるコミュニティーのハブとしてサンフレッチェ広島があるというところまで発展させていきたいと思っています」
プロ叶わず、凸版印刷へ就職。
彼がこの仕事に就いたのは今年1月のことだった。
浜田のキャリアはユニークだ。選手権後に推薦入試で横浜国立大へ進学。そこでもサッカーを続け、神奈川県大学1部リーグでプレーした。大学4年時に就活と並行してプロへの道を模索。大手企業である凸版印刷株式会社に内定をもらう傍ら、湘南ベルマーレや水戸ホーリーホック、当時JFLだったV・ファーレン長崎の練習に参加した。しかし、全て不合格。ここでサッカーをキッパリとやめて、社会人としてのスタートを切った。
入社した凸版印刷では企業の販促プロモーション支援をする営業担当となり、大手企業を受け持つなど営業マンとして第一線で活躍した。一方で、会社とJICA(国際協力機構)が連携して行う1年の海外研修にも参加。マレーシアのアロースター(北部のタイとの国境近くの町)で環境問題の教育に携わった。その時間で、浜田のある思いがふつふつと湧き上がっていた。
「一度サッカーを離れていろんな経験をさせてもらいました。でも、自分の中でずっと『何をすればあの感動、あの達成感を得られるか』と考えるようになったんです。それを見出せるものをなかなか見つけられなかった」
彼の言う「あの感動、達成感」とは、全国制覇した選手権での経験だ。