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遠藤渓太が日本人3番目の“神”に。
鉄のウニオンで期待される役割とは。
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph byGetty Images
posted2020/08/14 11:40
昨季のマリノス優勝に大きく貢献した遠藤渓太。東京五輪世代のサイドアタッカーが、ドイツでの挑戦をスタートさせる。
“局面強度”の洗礼を乗り越えろ。
この先、遠藤は数多の日本人ブンデスリーガーが直面してきた、“局面強度”の洗礼も乗り越えなければなりません。
2014年6月に浦和レッズからヘルタ・ベルリンへ移籍した原口元気(現ハノーファー/ドイツ2部)は、ブンデスリーガ開幕節のブレーメン戦でリーガデビューして2得点に絡む活躍を果たしました。ただ試合終了間際に相手の強タックルを受けて右肩を痛打し、3週間の戦線離脱を余儀なくされました。
原口は当時を振り返って「身体の軸がズレたかと思った。ブンデスリーガのボディコンタクトは想像以上に強烈だと感じた」と述懐しています。
基本スキルや状況判断、機敏性など、日本人選手が他国の選手に比べて秀でている点は幾つかあると思います。ただ傍目からは想像できないブンデスリーガの“局面強度”は脅威で、このスピード&パワーに対応できない者は淘汰の対象になってしまいます。
できれば遠藤には早い段階でそれを体感し、そのうえでハイレベルな競争に打ち勝ってほしいと思います。
ウニオンと独自のサッカー文化。
ちなみに今回、遠藤が加入したウニオンはドイツ国内でも独自のサッカー文化を育んできた魅力溢れるクラブです。
クラブの母体は1906年創立と古いのですが、ドイツは第二次世界大戦後に国内が東西に分断されました。ウニオンのホームタウンであるベルリン最東端トレプトウ=ケーペニック区は東ドイツが統治する東ベルリンに属して、終戦後のサッカークラブ再編によって1966年に現クラブが発足しました。
ただ、東ドイツ全体の不況や政治的停滞などもあってクラブ成績は低迷。ベルリンの旧西ドイツ地区に本拠を構えるヘルタ・ベルリンに大きく水をあけられてきました。
それでもウニオンには常に、低所得労働者や地元アーティストらを中心とした献身的なサポーターが寄り添ってきました。
クラブが経営難に陥ったときには、献血による報酬を手にしたサポーターがこぞってクラブに“血を抜いての献金”をしたこともありましたし、スタジアムの拡張工事費が賄えなくなった際にはサポーター約2300人が無料奉仕で建設作業に従事した逸話もあります。
団結の精神は現代でも息づいていて、彼らのサポーティングコールである『アイザン・ウニオン!』(鉄のウニオン)の大合唱は、ホームスタジアム『シュタディオン・アン・デア・アルテン・フェルステライ』で体感できる荘厳な風物詩でもあります。