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アントニオ猪木「延髄斬り」の美学。
天井裏からみたプロレス芸術の快感。
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2020/07/05 20:00
1984年東京体育館の天井裏にて撮影。アントニオ猪木の延髄斬りは真上から見ても美しかった。
当初は「延髄蹴り」と呼ばれていた。
猪木のこのハイキックは最初の頃は「延髄蹴り」と呼ばれた。当時、テレビ朝日の「ワールドプロレスリング」で実況していた舟橋慶一アナウンサーは「確かに“蹴り”ってしゃべっていたよ」と回想した。
呼び方はいつしか東スポや古舘伊知郎アナが「延髄斬り」に変えていった。
猪木が変なドロップキックを使う、とアメリカのレスラーたちの間でも話題になったという。
米国武者修行中だった天龍源一郎はプロモーターから「ラウンドハウス・キック」ができるか、と問われた。そんなキックは知らなくて映像も見ていなかったから、想像だけで天龍式の低い延髄を使い始めたという。
猪木の延髄斬りを一番多く浴びたのはバッドニュース・アレンかもしれない。そのアレンも浴び続けた者の特権として、いつしか延髄斬りを使い始めて自分の得意技にしていった。
しなやかで、きれいで、力強い。
猪木を代表する技である卍固めに、新たに延髄斬りが加わったことで、猪木の試合の流れは変化していく。
猪木の延髄斬りはしなやかで、きれいで、力強く、バランスもよかった。逆側から見ても、そこには完成された美しさがあった。
歳を重ねても、毎朝のランニングで培った脚力は、高いジャンプ力を維持していて、ビッグ・ジョン・スタッドら2メートル級の長身レスラーに対しても、延髄斬りは威力を発揮していた。
初めて参議院議員選挙に出馬する時も「国会に卍固め。消費税に延髄斬り」が猪木のキャッチ・コピーになった。
何回、猪木の延髄斬りを撮ったかは、覚えていないし、数えたこともない。
私はリングサイドに限らず、さまざまな角度や場所から「エンズイ」を狙った。
その中に「真上から」というカットがある。