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アントニオ猪木「延髄斬り」の美学。
天井裏からみたプロレス芸術の快感。

posted2020/07/05 20:00

 
アントニオ猪木「延髄斬り」の美学。天井裏からみたプロレス芸術の快感。<Number Web> photograph by Essei Hara

1984年東京体育館の天井裏にて撮影。アントニオ猪木の延髄斬りは真上から見ても美しかった。

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

「延髄斬り」(延髄蹴り)は今では多くのレスラーが使う技の1つだ。でも、元祖であるアントニオ猪木のそれは一味も二味も違った。

 猪木が観客の前で「延髄斬り」の原型を見せたのは、1977年10月に日本武道館で行われたプロボクサー、チャック・ウェプナーとの格闘技戦だった。その前に、タイガー・ジェット・シンとの後楽園ホールの試合でタイミング的には酷似したハイキックを見た記憶があるけれど、それは流れの中に消えてしまった。

 ロープ際のウェプナーに猪木が飛び上がったが、リングサイドの私の目の前にはロープ越しにウェプナーの大きな背中があって、猪木の足先が上がっていくのしか見えなかった。ウェプナーはダウンした。何が起きたのか、よくわからなかった。

 後で確認すると、この蹴りは狙った通りではなかった。猪木の右足は相手の頭をかすめただけだった。だが、もう一方の左足がウェプナーのこめかみを捕らえていた。これが偶然だったのか、猪木の気転だったのかは定かではない。

 まだ、技に名前はなかった。暫定的に「円月殺法」とか呼ばれた。だが、猪木のこの蹴りが実は相手の後頭部の延髄を狙ったものだったことは、後のプロレスの試合で明らかになっていった。

アリ戦で封印されたハイキック。

 この延髄斬りに近いものは1976年6月の日本武道館でのモハメド・アリ戦用に試案されたものであったが、ルールでハイキックが禁止されたために、その蹴りは日の目を見ることはなく封印されていた。アリのような超一流のボクサーにこのような飛び技が命中するかどうかは疑問だが、結果として、アリ・キックと呼ばれるようになるスライディングしてのローキックを15ラウンド執拗に放ったことが、当時は酷評された試合が、時を経て名勝負として再評価されるわけだから不思議なものだ。

 1977年8月、マーシャルアーツのザ・モンスターマン・エベレット・エディの蹴りを浴びたことで、猪木の中に秘めていたものがよみがえったのかもしれない。「アイツの蹴りはすごかったな」と猪木はモンスターマンの跳躍力のある蹴りを褒めた。

【次ページ】 当初は「延髄蹴り」と呼ばれていた。

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