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トルシエが語る「日本人のメンタル」。
中田と本田の同じ部分、違う部分。
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2020/06/16 08:00
日本代表を率いていたころのフィリップ・トルシエ。日本サッカーを大きく変えた人物の1人である。
日本だけに特徴的な現象。
今、すべての世代がその恩恵にあずかっている。選手たちが、自分にもできるということに気づいたからだ。指導者も気持ちを強くした。躍進は劇的だった。五輪代表となでしこはアジア大会に優勝した。A代表はアジアカップを奪回した。選手は次々とヨーロッパに移籍し、ビッグクラブで活躍をはじめた。
香川や内田、長友、岡崎……。彼らは優れた選手だが、日本では飛びぬけた存在ではなかった。それが海外で成功する。彼らに出来るのだから、自分にも可能性はあると、すべての選手に思わせた。これまでにないモチベーションと野心が、彼らの中に生まれた。
このサッカー界全体を覆うダイナミズムは、 私が知る限り日本だけに特徴的な現象だ。日本のすべてが、ポジティブなリズムのなかで生きている。それこそがメンタルの正体だ。
1998年の欧州組は中田1人だった。
他方で、南アで選手たちが見せたメンタルの強さは、ロッカールームのメンタルだ。批判を浴びて孤立した選手たちがロッカールームで気づいたのは、数千万人の日本人の期待を背負いながら、彼らは誰からも信頼されていないという事実だった。それが強い連帯意識を生み、岡田監督のもとでひとつになった。
彼らは4試合を戦いぬき、南アの地で存在感を示して日本全土を覚醒させた。だがそのメンタルは、ロッカールームから生まれた限定的なもので、強固な基盤から生まれた今日のメンタルと同じではない。
私の頃は、状況がまったく違っていた。私が初めて来日した'98年当時、ヨーロッパでプレーしていたのは中田英寿ただひとりだった。
むろん中田は、今日に至るヨーロッパヘの道を切り開いたパイオニアだ。メンタル面でも彼は強かった。ひとりで現地の言葉や文化に適応し、ジャパンマネー獲得のための移籍ではといった偏見とも戦いながら、自らの価値をイタリアで証明した。