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パク・チソン取材は日本語に限る!
「俺、Jリーグのレジェンドなの?」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byRyuichi Kawakubo/AFLO SPORT
posted2020/05/31 11:50
2003年の京都パープルサンガ時代、鹿島を破っての天皇杯優勝時のパク・チソン。決勝では自ら得点し、勝利に大きく貢献した。
西欧文化に悩んだ最初の経験。
そんなパクが、苦境にある時に一度だけ取材に行った。
'03年、オランダのPSVに移籍したばかりのころだ。アイントホーフェンの練習場でもお父さんに出会った。
「Jリーグに戻ろうかと考えているんです。話を始めているところですよ」
オランダでなかなか力を発揮できず、ホームゲームでブーイングを浴びていた。この体験はJリーグから欧州に渡ったパクにとってはなかなか堪えた。ヒディンク監督もアウェーでだけパクを起用するなど、配慮を見せた。この点は知られているところだ。
後のインタビューでは、自身を苦しめていたのが……ファンボメルだと口にしていた。
後にバルセロナ、バイエルン・ミュンヘン、ACミランへと羽ばたいていくMFだ。オランダ代表としても2010年南アW杯準優勝メンバーとなった。
なんでも、「練習からめちゃめちゃキツいことを言われる」という。
「個人」というものの捉え方が日韓と異なる。
「韓国では『ピッチ上では先輩についていけばいい。少々ミスしてもカバーしてもらえるから、思い切ってやればいい』と考えていたんですけど、ここでは年齢による上下関係がない。何歳だろうが、一選手としてやれと。このギャップが苦しかったんですよ。オランダ語でガーっと言われて、意味が分からないから英語で『イエス』と返すだけで」
ファンボメルは'77年生まれで、パクは'81年生まれ。ピッチ上で叱られることはあるだろうが、それが「先輩だから」じゃない。その文化ギャップたるや。
しかしこの話こそ、日本の海外組にとっても考え方の基本となるものだ。あるいは日本サッカーの取り組むべき課題が凝縮されている。「個人」というものの捉え方が儒教文化圏の日韓とは違う。キリスト教文化圏では神と個人それぞれが1対1で繋がっている。だから「尊厳のある個人」がいる。何歳だろうが、自分が社会の一員として自分の力を発揮しないといけない(from『「世間」とは何か』阿部謹也)。