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パク・チソン取材は日本語に限る!
「俺、Jリーグのレジェンドなの?」
posted2020/05/31 11:50
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by
Ryuichi Kawakubo/AFLO SPORT
Jリーグ再開が7月4日に、J2の再開とJ3の開幕が6月27日となった。
もう少し待つ時間が続く。
最近のスポーツ記事のトレンドを見ると「歴史振り返りモノ」が多いなか、筆者の立場から少し角度をつけたJリーグ史を。
「コリアンJリーガーの記憶」
まあ「彼らの存在意義とは?」といった仰々しいテーマ設定もいいのだが、少し軽めのエピソードを。
かつては韓国代表レベルのスーパースターが日本でも多くプレーした。豪快な話も多い。そしてこの時にこそ「時効」の話、つまり今だから話せることを。
初回はパク・チソンについて。確かに大スターなんだが、遠慮せずに突っ込んでいくと、びっくりするような話をしてくれる存在だった。
「山瀬、どうしてるの?」
「俺、Jリーグのレジェンドなんですか?」
2018年秋、パク・チソンにソウル郊外のスーウォンで会った際、最初に聞かれた。
過去に日本で活躍したコリアンJリーガーへの連続インタビュー企画だった。まあ申請レターには「レジェンドたちに会いたい」と記した。さらに「ホン・ミョンボさんなど、先輩も応じてくださっています」と念を押した。
なにせイギリスに暮らす大スターたる彼を、大忙しの韓国滞在中に捕まえなくてはならない。スタッフを納得させ、本人に話を通してもらうことが大切だ。しかし現場での本人は、リラックスしたものだった。
こちらから
「うん、まあJ2のレジェンドかな。2001年J2リーグ優勝。最高のタイトルです」
と冗談交じりに返すと、すごく喜んだ。 取り巻きのガードは少々固いが、本人は至ってオープン。むしろスター扱いされることを望まない。そういった一面がある。
確かに京都パープルサンガ時代の彼と言えば、'03年1月の天皇杯優勝が印象的だ。いっぽうでリーグでのタイトルは「J2優勝」が唯一。後にマンチェスター・ユナイテッドで4回リーグ優勝しているから、本人としては「日本では大活躍とまではいかなかった」という意識があるのだろう。ちなみに日本で印象に残る試合の1つとして、'01年11月10日、J2第43節の湘南ベルマーレ戦を挙げていた。「優勝・昇格を決めて'02W杯代表への希望が見えた」と。
実はインタビュー後に、インタビュー時間と同じくらいの雑談をした。日本の話を懐かしそうにする。
「山瀬、どうしてるの? 若いときに見てホントに上手いなって驚いた」
愛媛FC所属、若き日はコンサドーレ札幌のスターとして活躍した山瀬功治の話だ。確かに日本にいて、日本の若者たちと揉まれていたんだなと思わせる質問だった。
戸田和幸、藤田俊哉などオランダで同時代にプレーした日本人選手のことも気にかけていた。