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パク・チソン取材は日本語に限る!
「俺、Jリーグのレジェンドなの?」
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byRyuichi Kawakubo/AFLO SPORT
posted2020/05/31 11:50
2003年の京都パープルサンガ時代、鹿島を破っての天皇杯優勝時のパク・チソン。決勝では自ら得点し、勝利に大きく貢献した。
日本語で聞くとが面白い言葉が出てくる。
この人、じつは、日本語で聞くと面白い言葉が出てくることが多い。
なぜかというと、外国語だと必死に話そうとするからだ。勝手知ったる母国語だとむしろ紋切り型の「頑張ります」といった言葉が多くなる。
2005年8月、「Number」の取材でマンチェスターまで取材に行かせていただいた。
指定されたインタビュー現場はマンUの練習場「カーリントン」だった。 郊外の森の中を進むと現れる“要塞”だ。タクシーでそこに着き、いざ「勝負」というその時……同行した編集担当者に宣言した。
「えー、今日のインタビューは日本語でやろうと思います」
「えっ?」。東大出の編集者をちょっと驚かせてしまった。顔にこう書いてあった。
“だったら東京からあんたを連れてこなくても、欧州在住の書き手にお願いするのに……”
筆者へのオファーは韓国語が出来るがためのものだったのだろう。今だったら事前に「日本語で」と申し出るだろうが、当時の筆者、30代にしていたずら盛りだった。
「ルーニーと、ロナウド、ホントに上手いっ!」
チーム練習が終わった後、ピッチから引き上げてくるパクに挨拶がてら声をかけた。日本語で。すごくざっくり聞いた。
――マンU、どうなん?
「いやーーーーっ、ルーニーと、ロナウド、ホントに上手いっ!」
おもわず、ツッコんでしまった。
「おい、感心すんなよ! 競争しろ!」
韓国語で聞いていたら、ごく普通の「頑張っています」という話が出てきたんじゃないか。そんなことも思う。
しかしながら、この「ホントに上手い」という話は後の彼の成功を予言する言葉だった。自叙伝『名もなき挑戦』(2010年に筆者が訳しました)でこんな内容を記している。
「天下のルーニー、ロナウドとてパスコースに詰まることがある。そこをサポートし、パスを受けることが自分の役割」
脇役として生き延びる。運動量勝負。生きる道を見つけていたのだ。