“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
浦和が惚れた大久保智明のドリブル。
ヴェルディ育ち、大学で磨いた1対1。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byChuo University
posted2020/05/26 11:40
浦和内定が決まった中央大MF大久保智明。状況判断に優れた左利きのドリブラーだ。
心に突き刺さった仲間の声。
「スタッフの方から『ゴールを奪える選手・ゴールを守れる選手・ボールを回せる選手・ボールを奪える選手・ボールを奪われない選手・ハードワークできる選手という6項目の中で、最低でも4項目はできる選手を試合で使いたい』と言われたんです。僕は守備が苦手だったので『ボールを奪える、ゴールを守れること以外はできます』と答えると、『いや、トモはボールを回すことができない』と。つまり当時の自分は3項目しかできていないという判断が下されて、ベンチになったんです。やっぱりユーティリティーで、もっとボールを保持して回せる選手じゃないと評価されないんだ、と強く思ってしまいましたね」
当然、スタッフは彼の成長を促すために厳しくも期待を込めた指摘を送ったのは間違いない。だが、結果として彼の「これができないとヴェルディらしい選手になれない」という思い込みを加速させてしまったのだった。
「どんどんボールを奪われないことに執着するようになりました。同時に皓太や寛也のプレーを見て、『やっぱりうまいな』と思う一方で、『それに比べて自分は(ボールを)奪われることが多いな』と。プリンスリーグ関東の試合では、トップチームに同行する皓太がいないことが多かったのですが、ディフェンス陣が、悪気はなく『皓太がいれば……』とこぼす時があったんです。それが自分の心に突き刺さるというか、何も言い返せない自分がいました。むしろ『そうだよね、皓太がいたら違ったよね』と思ってしまって、すごく辛かった」
どんどん膨らんでいく劣等感。卑下する自分自身が嫌になったが、必死に納得させていた。
トップ昇格が懸かった時の怪我。
それでもレギュラーを奪い返し、迎えた夏の日本クラブユース選手権。当時トップチームを率いていた冨樫剛一監督から、この大会が終わったら1週間プロの練習に参加して、トップ昇格か否かの判断をすると告げられていた。しかし、初戦の川崎フロンターレU-18戦で左足の内側靭帯を損傷し、そこから約2カ月の離脱を強いられることになった。
8月に石川県で行われた和倉ユースサッカーフェスティバルに帯同されるも、試合には出場できず。その最終日に宿泊先のホテルでスタッフとの面談があり、トップに上がれないことを告げられた。
「怪我をした時点で薄々覚悟はしていました。でも、いざ目の前で言われると…。ホテルの部屋を出た時にもう涙が止められなくて、めちゃくちゃ泣きました。それ以外覚えていないんです」