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引退会見でも彼はラガーマンだった。
大野均の19年、決意と感謝と今後。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO SPORT
posted2020/05/25 19:00
192cmの体格、それに似合わぬ走力、そして何より、溢れ出る闘志。大野均が日本ラグビーに残したものはとてつもなく大きい。
ウェールズに0-98で負けてから9年。
'13年のウェールズ戦は、日本代表デビュー直後の記憶に紐づいてる。'13年6月15日の秩父宮ラグビー場に刻まれた23-8のスコアは、対ウェールズ初勝利を意味するものだった。
「’04年にヨーロッパに遠征して、ウェールズに0-98で負けました。それから9年後に勝てる試合ができるとは、当時は想像もできませんでした。ノーサイドの瞬間はベンチにいたのですが、勝利をほぼ手中に収めたと感じたときに、涙でグラウンドが見えなかったことを覚えています」
日本代表として'04年から'16年まで稼働し、積み上げたキャップ数は98にのぼる。2位の小野澤宏時さんは81で、3位の元木由記雄さんは79である。昨年のW杯メンバーでは、田中史朗の75が最多だ。大野の記録を超える選手が、果たして出てくるか……。
日本国内がW杯に沸いた昨年9月の時点では、「何歳までとは決めずに、できる限り現役を続けたい」と話していた。「たとえ灰になってもまだ燃える」という信条は、42歳になったいまもその胸で息づいている。
胸にあるのは古巣と故郷への思い。
現役引退を決意することになったのは、肉体があげる悲鳴を聞き流せなくなったからだった。今年1月に開幕したトップリーグでは、消化された6試合で一度もメンバー入りできていなかった。
「1年ほどまえから両膝に痛みが出てきて、昨年末より別メニューで治療と調整を続けてきましたが回復が見られず、また昨年のW杯での日本代表の躍進や、東芝のラグビー部内でも若い選手の台頭があり、それをとても頼もしく感じ、これ以上選手としてやり残したことがないと感じ、引退を決意しました」
今後について聞かれると、古巣と故郷への思いを口にした。09-10シーズンのトップリーグ優勝を最後にタイトルから遠ざかっている東芝に、恩返しのできる活動を模索していく。
同時に、東日本大震災で被災した福島県出身のラガーマンとして、これまでやってきたことを継続していく。ラグビー界全体の普及のためにも力を尽くしたい、との希望も明かした。
「自分にしかできないこと、自分だからできることをやっていきたい」とも話す。この日の会見ですでに、その言葉を行動に移した。