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消えた球春。日本ハム広報が語る
コロナ禍に飲み込まれた3カ月。 

text by

高山通史

高山通史Michifumi Takayama

PROFILE

photograph byHokkaido Nippon-Ham Fighters

posted2020/05/19 08:00

消えた球春。日本ハム広報が語るコロナ禍に飲み込まれた3カ月。<Number Web> photograph by Hokkaido Nippon-Ham Fighters

栗の樹ファームで自粛生活を送っていた栗山英樹監督。

通常通り開幕できるだろう……と信じていた。

 キャンプを終えると、2月下旬には北海道へと戻る。北海道で感染拡大が進んでいることが大々的に報じられている時期に、札幌ドームでもオープン戦が予定されていた。早々に無観客での練習試合対応に切り替えられてはいたが、沖縄から北海道への空路での移動時にはマスク着用の義務化など、チームの感染予防ルールは厳格化され、その適用範囲も広がっていた。

 それでも通常通りの開幕は問題ないだろう、事態は終息へと向かうだろう。そう私自身は思い込んでいたのである。選手を含めて、そういう感覚を抱いていた球界に身を置く人は少なくはなかっただろうと推察する。

 当時は「北海道」というキーワードだけで、距離を置かれたこともあった。3月、オープン戦に代わる無観客での練習試合での遠征。再会の際に必ず握手で挨拶してくれる方が、手を差し出さなかった。旧知の相手球団のメディア担当者からも心配をされ、少し距離を取られていると感じることもあった。

 そんな時、置かれた状況を知る。いつ、誰が罹患しても不思議ではないと思えるほど「新型コロナウイルス」を近くに感じるようになっていったのである。それから、約3カ月が経過した。現在に至るまでの日本国内の感染拡大の経緯、説明は割愛する。

最初はすべてが非日常に思えた日々。

 あっという間に、北海道日本ハムファイターズも、プロ野球も新型コロナウイルス禍に飲み込まれたのである。

 球団広報としても尽くせる手段は限られた。無機質なオンラインによるメディアとの取材対応の調整。報道陣には取材手段だけではなく、人数を含めた取材制限をかけて十分な環境を提供はできず不便を強いた。

 推奨される在宅勤務の合間を縫い、球団SNSによる情報発信とコンテンツ制作のアシストなど、通常のシーズン中と業務は異なった。世の中にプロ野球、北海道日本ハムファイターズの存在を、少しでもマーキングするために球団一丸で抗った。

 すべては非日常だったが、時間が経過するにつれてリアルな現実として受け入れざるを得なくなった。日常へと転化できていったのである。

 球団職員以上に、選手の方が疎外感は強かったと推察する。長く続く自主練習期間。北海道日本ハムファイターズは栗山監督を含めてコーチングスタッフ、打撃投手やブルペン捕手など裏方の方々も、自宅待機の指示が出ていた。

 一切、チーム外部との接触を遮断し、選手同士で助け合って練習を続けていたと聞く。合宿所もあるため多数の選手が拠点にしたファイターズ鎌ケ谷スタジアムでは、新キャプテンの西川遥輝選手が投手と野手、また選手個々の意見を吸い上げ、自主練習を統率していたそうである。

【次ページ】 約1カ月ぶりにグラウンドで練習を!

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