ツバメの観察日記BACK NUMBER
黄金時代の立役者、ハウエルに再会。
「マキハラ、サイトウはすごかった」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byShoichi Hasegawa,KYODO(in the article)
posted2020/05/16 11:30
4月26日、JRFPA(日本プロ野球外国人OB選手会)主催のオンラインミーティングでファンと交流するハウエル氏。
スワローズとエンゼルスの見えない因縁。
ひと足早い'91年にヤクルトに入団していたジョニー・レイ。
そうだったのか、ハウエルとデシンセイ、そしてレイは、いずれもエンゼルスのチームメイトだったのか!
スワローズとエンゼルスの見えない因縁。個人的には初めて知る話ばかりで、僕は一気に夢中になっていた。
マキハラ、サイトウは強く印象に残っています。
――当時対戦した日本のピッチャーで印象に残っている投手は誰ですか?
この質問に対して、ハウエルは間髪入れずに口を開いた。
「ヤクルト時代に印象に残っているのは巨人のマキハラ、あとはサイトウかな?」
当時、桑田真澄とともに巨人の「三本柱」と謳われた槙原寛己、そして斎藤雅樹だった。
「とにかくジャイアンツのピッチャーは闘争心がすごいんですよね。決してひるむことなく必ず全力でぶつかってくる。
ヤクルトと巨人はよきライバルでしたから、マキハラ、サイトウは強く印象に残っていますね。特にマキハラはスピードボールもフォークもすごかった」
'92年から'94年までの3年間、スワローズのユニフォームに袖を通していたハウエルは、'95年にはこともあろうに巨人へ移籍する。
改めて「ヤクルトで印象に残っている投手は?」と質問をする。
「'94年のシーズンが終わったときに、ヤクルトとはもう契約が結べないということになりました。でも、私は“もっと日本で野球を続けたい”と思っていたし、同じマンションに住む日本人の友人もできていたので、“東京で暮らしたい”と考え、ジャイアンツに移籍しました。
実際にスワローズと戦ってみましたが、球場に行っても、昔のチームメイトがたくさんいたので、それほどタフではありませんでした。でも……」