ツバメの観察日記BACK NUMBER
黄金時代の立役者、ハウエルに再会。
「マキハラ、サイトウはすごかった」
text by
長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byShoichi Hasegawa,KYODO(in the article)
posted2020/05/16 11:30
4月26日、JRFPA(日本プロ野球外国人OB選手会)主催のオンラインミーティングでファンと交流するハウエル氏。
ノムラサンと戦うのは非常にタフなこと。
「でも……」という言葉に続いて出てきたのが「ノムラサン」という言葉だった。
「……でも、ノムラサンと戦うのは非常にタフなことでした。私自身も3年間、ノムラサンにいろいろ教わったので、それはやっぱりタフな経験でした」
続けて、「ヤクルト時代の応援歌を覚えていますか?」と質問すると、冒頭に掲げたように、自分で自分のことを「ナイスガイ」と言いながら、ハウエルは楽しそうに口ずさんだ。
「よく覚えていますね」と言うと、彼は得意そうに続けた。
「私が日本にいた頃、子どもたちは8歳と6歳で、“全員の応援歌を覚えたい”と言うので、選手の応援歌が収録されたCDを買ってきて、家ではいつも流れていたんです(笑)。
もちろん、イケヤマ(池山隆寛)さん、ヒロサワ(広沢克己、現・広澤克実)さん、フルタ(古田敦也)さんの歌だって覚えていますよ!」
おぉ、なんて嬉しい言葉だろう。ハウエルの思い出話はさらに続く。
「球場に行くと、イケヤマさん、ヒロサワさん、フルタさんは息子たちを抱っこしてくれたり、膝の上に乗せてくれたりしました。あの頃、家の中にはそんな写真がたくさん飾ってありましたからね(笑)」
ハウエルは今でも「頼れるナイスガイ」。
あぁ、ますます嬉しいではないか。
'92年、'93年、西武と激突した日本シリーズは今でも球史に残る激闘だった。'92年、ヤクルトは3勝4敗で西武に敗れた。その最後のバッターがハウエルだった。一方、'93年は4勝3敗でヤクルトが勝利した。その初戦、1回表にチームを勢いづける先制3ランを放ったのもハウエルだった。
あの2年間の主役の1人は、間違いなくハウエルだった。改めて感謝の言葉を伝えると、彼からはヤクルトファンへのお礼が述べられた。
「日本で過ごした4年間は自分の人生においてターニングポイントとなる時期でした。家族全員で日本にやってきて、たくさんの友だちができました。神宮球場に行けば多くのファンの方たちがすごくよくしてくれました。数人のファンの方とは今でも交流があります。
今、新型コロナウイルスの影響で、世界が大変な状況ですが、こうして日本のみなさんとつながれたことを嬉しく思います。みんなで乗り越えられます。きっとうまくいくと信じています。身体を大切にして気をつけて過ごしてください。ガンバッテ!」
ありがとう、ハウエル! やっぱり、あなたは今でも「頼れるナイスガイ」だ!