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因縁ぶつかり合った19年前のあの日。
エコパに響いた5万2959人の熱狂。
text by
望月文夫Fumio Mochizuki
photograph byJ.LEAGUE
posted2020/05/12 11:50
エコパスタジアムのこけら落としとして行われた静岡ダービーには5万人を超える大観衆が詰めかけた。
日本代表、静岡県出身選手が多数。
出場メンバーの顔ぶれも「決戦」と呼ぶにふさわしい。
磐田はFWに中山雅史(J3沼津、解説者)と高原直泰(九州リーグ・沖縄SV代表)、MFには藤田俊哉(日本サッカー協会、技術委員会)や福西崇史(解説者)ら、DFにも鈴木秀人(磐田強化部長)や田中誠(磐田スカウト)、服部年宏(磐田アカデミーコーチ、前磐田強化本部長)らが名を連ね、オランダ出身のGKヴァンズワムを除き、途中出場した選手も含めたすべてが日本代表経験者だった。
一方の清水も、MFに澤登正朗(解説者)や三都主アレサンドロ(ブラジル・サッカークラブ経営)、伊東輝悦(J3沼津)に市川大祐(清水ジュニアユースU-14監督)、DFにも森岡隆三(清水アカデミーヘッドオブコーチング)、戸田和幸(解説者)ら日本代表経験者が7人を数える。そして両軍のベンチ入り選手を含め、静岡県出身者が17人と、地元のサポーターたちがダービーに酔いしれるには十分な条件が整っていた。
オリジナル10をめぐる因縁。
そんな決戦に注目したのは、県内だけではない。キー局のTBSを介して全国に放送され、サックスブルーに染まる磐田サポーターとオレンジ色の清水サポーターが欧州強豪国のダービーマッチさながらにスタンドを二分したスタジアムが映し出され、長く静岡ダービーを見てきた取材陣も「こんな光景は初めて。鳥肌が立つ」と口を揃えるほどだった。
そもそも、なぜ静岡ダービーはここまで盛り上がっていたのか。それは、Jリーグ誕生時までさかのぼることになる。
1991年に当初のJリーグ参加10チーム(オリジナル10)を決める際、静岡エリアからの参入は、日本リーグ(JSL)から参戦し天皇杯の優勝経験もあるヤマハ発動機(ジュビロ磐田の前身)が有力視されていた。ところが、Jリーグの地域密着の理念を体現するのにふさわしい街、チームとして、J参入を目指して立ち上げた清水FCが10チームの枠の1つを得ることになったのだ。