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今中慎二のスローカーブを忘れない。
打者がたじろぐ軌道と真っ向勝負。
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKyodo News
posted2020/04/30 19:00
ジャイアンツキラーとしても名を馳せた左腕・今中慎二。60キロ近い球落差で多くの打者の頭を悩ませた。
松井との対戦、三振かホームランか。
今中は好打者として落合博満、前田智徳の名前を挙げており、常に全力投球したと回顧している。特に巨人に移籍した後の落合には、意地のストレート勝負を挑んだ。その結果、痛打される場面もあったが多くの名勝負を生み出した。
そして、松井秀喜との対戦は手に汗握った。通算対戦打率は2割9分7厘、ホームラン6本と打ち込まれている反面、20もの奪三振も奪っている。三振かホームランか――。若かりし日の怪物と球界を代表する左腕の対戦は、プロとしての矜持がぶつかり合い、今中のギアが入れ替わる瞬間でもあった。あの松井が、今中のスローカーブには腰が引けて見逃す姿に、球場に集ったドラゴンズファンは歓喜した。
タイトルとは縁がなかった「14番」。
中日には確たるウイニングショットを武器に活躍した左腕の系譜がある。
山本昌のスクリューボール、岩瀬仁紀の高速スライダー、野口茂樹のスライダー、チェン・ウェインのストレート。もちろん今中のスローカーブもその系譜に当てはまる。
ただ、彼らが決め球を駆使しチームの優勝に貢献した一方で、今中が勝ち星を重ねた7シーズンの間はチームタイトルとは縁がなかった。優勝争い時はチーム事情のため中4日でフル稼働したが、結果的にこの時の酷使が肩の故障に影響した可能性も取り沙汰された。エースとして優勝を味わうことがなかったのは、引退会見時の「後悔はありません。ただ、悔いはあります」という発言に繋がったのかもしれない。
'96年に左肩を痛めて以降は不振に苦しんだ。翌'97年から2001年の引退までの5年間で、白星はわずかに4つ。一度だけ、ファームで調整する引退前の今中の投球を観に行ったことがある。球速は120キロ台で、シュートやフォークを組み立てながら苦心する今中の姿があった。カーブは相変わらずよく曲がったが、コントロールが定まらないストレートは二軍打者にも容易に見切られていた。