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今中慎二のスローカーブを忘れない。
打者がたじろぐ軌道と真っ向勝負。
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKyodo News
posted2020/04/30 19:00
ジャイアンツキラーとしても名を馳せた左腕・今中慎二。60キロ近い球落差で多くの打者の頭を悩ませた。
捕手・中村も驚かせたスローカーブ。
'92年シーズンの滑り出しは好調だった。4月前半に早々と3勝を挙げ、最高のスタートを切っている。だが、4月19日の巨人戦で打球が左手を直撃するアクシデントに見舞われた。診断結果は、左手豆状骨の骨折。リハビリは2カ月に及んだ。野球人生初の骨折に、恐怖からストレートを投げることを躊躇し、練習ではカーブを多投したという。
怪我の功名か、カーブの曲がり幅は以前とは大きく異なっていた。8月17日の復帰戦で和田豊に投げたスローカーブについて、今中は自著『悔いは、あります。』の中でこう話している。
「和田さんもびっくりしていたが、中村さん(中村武志)はもっと驚いていた。無理もないだろう。以前までの僕だったら、こんなに落差の大きいカーブを投げることはできなかったのだから」
結果的に故障が今中に授けたスローカーブは、投球スタイルに幅をもたらした。しなやかな肘使いから投げ込まれる速球、フォークの威力も増し、60キロ近い球速差は打者を惑わした。変幻自在、という表現が今中ほど似合う投手を他に知らない。
女房役の中村が、「(変化球とストレートの投球フォームがほとんど変わらず)リリースの直前までサイン間違いか不安になった」と話すように、投球フォームから球種を判別することは不可能に近かった。
完投のためにイニングで球種を使い分けるのも今中の特徴だった。カーブとストレートを活かすために、1試合に数球はフォークを投じた。生命線でもあったスローカーブだが、今中にとってはあくまでピッチングの組み立ての中の1球種であり、自ら特別視することはなかったのかもしれない。
今中の真っ向勝負に心が奪われた。
それでも打者にとっては、ポーカーフェイスを保ちながら淡々と投げ込まれる、体験したことのない軌道で“消える”カーブは厄介なことこの上なかった。
「ボールが視界から消えたと思えば、手前で急激に現れる」
対戦した打者の中には、そんな表現を使う者もいた。
今中の三振シーンが、打者が腰をのけぞらせての見逃し、全くタイミングが合わない手打ちのようなスイングが多かったのも、スローカーブを織り交ぜた緩急自在の投球術によるものだろう。左打者が頭越しのボールからストライクゾーンに落ちるボールに避けるように体が起きるのは理解できるが、右打者のインコースへ沈むカーブでも、体を泳がせるほどのキレがあった。
ストレートやフォークを痛打される場面の記憶はあるが、スローカーブをジャストミートされてスタンドまで運ばれた印象はほとんどない。同じ左腕でスローカーブの使い手としては、星野伸之が思い浮かぶ。ほぼ同時期に活躍し、ストレートにスローカーブにフォークと球種も類似しているが、通算176勝を挙げた星野より今中に惹かれたのは、変化球でかわす投球ではなく、打者に真っ向勝負を挑む投球スタイルによるところが大きい。
三振を奪ってもクールな振る舞いでベンチに戻る一方では、相手チームの主力打者に対しては意図的にストレートでねじ伏せるという強い意思もあった。