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なでしこW杯制覇の取材ノート秘録。
川澄、丸山、山郷、澤に学んだこと。

posted2020/04/27 11:50

 
なでしこW杯制覇の取材ノート秘録。川澄、丸山、山郷、澤に学んだこと。<Number Web> photograph by Getty Images

劇的な展開をことごとく制し、一躍世界の頂点へ。2011年のなでしこジャパンはまさに日本の希望だった。

text by

中野吉之伴

中野吉之伴Kichinosuke Nakano

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photograph by

Getty Images

『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載しています! 今回はドイツサッカーで指導者とライターの二足の草鞋を履き、オーストリア時代の南野拓実など幅広く取材している、中野吉之伴氏による2011年なでしこジャパンの女子W杯優勝です。

 溢れてくる涙を止めることができなかった。僕はスタジアムの記者席で人目も憚らずにいつまでも泣いていたと思う。

 舞台は2011年のドイツサッカー女子ワールドカップ決勝戦。日本女子サッカー代表「なでしこジャパン」は、優勝候補筆頭のアメリカ女子代表に2度リードを許しながら、2度追いついた。延長戦でも粘り続け、PK戦の末に勝利。日本のサッカーシーンで初めてワールドカップ優勝を果たした。

 日本中を狂喜乱舞させたあの瞬間を現地で体感できたのは、幸運以外の何物でもない。いまも、「なでしこジャパン」の戦いぶりを思い出してはじんわりと胸が熱くなり、力が湧き上がってくるのを感じることができる。

コメントをメモすることが精一杯の中で。

 僕はスポーツ紙の現地通信員として取材をしていた。試合日だけではなく、練習にも、各試合の前日記者会見にも足を運んだ。ただ、あの頃の僕はまだライターとしての活動に力を入れていたわけではない。

 取材といっても選手に自分で質問する力量なんてなく、“本職”の記者さんが作る囲みの最後尾から必死に耳を傾けて、選手のコメントをメモすることが精いっぱいだった。「ジャーナリズムとは?」なんてテーマは、考えたこともなかった。

 そんな僕でも、この試合が日本人にとってどれだけ大きな意味を持つのかということはわかっていた。

 あれは東日本大震災があった年だ。

 手元には甚大な津波被害のあった宮城県南三陸町の写真集がある。数年前、現地の小学生のために企画したチャリティサッカークリニックで同町を訪問したときに購入した。パラパラとページをめくってみる。それまで当たり前にあった日常が一瞬のうちに消えてなくなる絶望。真っ暗な虚無感のなか数えきれないほどの悲しみに襲われ、それでも人々は希望の光を信じて、立ち上がってきた。

【次ページ】 鮫島「本当に感謝の気持ち」

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