なでしこジャパンPRESSBACK NUMBER
なでしこW杯制覇の取材ノート秘録。
川澄、丸山、山郷、澤に学んだこと。
text by
中野吉之伴Kichinosuke Nakano
photograph byGetty Images
posted2020/04/27 11:50
劇的な展開をことごとく制し、一躍世界の頂点へ。2011年のなでしこジャパンはまさに日本の希望だった。
近賀もその思いを背負っていた。
山郷は「なでしこ」のチーム力についてこう語っていた。
「こういう結果を出すために、自分も我慢しなくてはならないことが沢山あった。練習のなかでも自分の調整をしながら相手チームの役割をやるとか。常に仲が良いとかではなく、みんなが自分の持っている思いをチームのために捧げてくれた結果」
自分の思いを託した海堀の活躍を自分のことのように喜び、そして泣いた。それは山郷もまた多くの人の思いを背負い、ここまで戦ってきたからだった。
「私は、いまのこのメンバーへの思いもあるし、いままで戦ってきたメンバーへの思いも同じくらいある」
すみませんと一言つぶやいて、そして目頭を押さえていた。
彼女の思いはチーム全体に共通するものだった。右SBとして攻守に貢献し続けていた近賀ゆかりは、そうしたサポートがどれだけ大きな支えになったかを話していた。
「ベンチのみんなにも声をかけてもらって。山郷さんとか矢野喬子さんとかベテラン、中堅で試合に出てない人が、いろいろとバックアップしてくれたのがチームにとって大きかった。その人たちのためにもという思いで踏ん張りたかったですし、優勝できて本当に良かったと思います」
最後はみんな「岩清水のために」。
延長戦ではピンチを阻止するため、守備の要・岩清水梓が一発レッドで退場してしまう。それでも不利になるどころか、「岩清水のために」という気持ちがさらなる力となった。PK戦をピッチサイドで見られなかった岩清水はモニター前で応援しながら、ずっと泣いていたという。
「もうずっと泣いてました。止めて泣いて、決めて泣いて、勝って泣いて。大泣きですよ」
そしてこのチームには澤がいた。中心選手としてチームを導き、大会MVPに輝いた。決勝戦でも宮間のCKのボールに、軽やかに宙を舞って鮮やかなシュートを決めてみせた。得点シーンだけではない。澤の危機管理能力は何度もチームを救った。
それは、場数を踏み続けてきたことで蓄えた経験の賜物だ。苦しいときでも自分たちを見失わず、常にいまできることを探し、自分に課題を課し、もがき苦しむときがあっても、その先の成功を信じてやってきた彼女のサッカーへの思いが、この大舞台で最大限に光り輝いたのだと思うのだ。