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ハンド界期待の部井久アダム勇樹。
石川祐希に倣う欧州移籍と急成長。
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAFLO
posted2020/04/21 11:00
パキスタン人の父を持つ部井久アダム勇樹。博多高校時代から日本代表に選出されるなど、ハンドボール界の期待の星だ。
大学1年でイタリアへ渡った石川祐希。
石川の海外挑戦も大学1年から始まった。バレー世界最高峰リーグ・セリエAの名門、パッラヴォーロ・モデナからオファーが届き、3カ月間留学している。当時は大学生で海外に行くという前例はなかったが、それでもまず行くことが大事だと、監督やスタッフ、大学はモデナからのオファーに理解を示し、石川をサポートした。それは石川のみならず、他の選手や、男子バレー全体のレベルアップにつながる意義があると考えたからだ。
大学生の石川は出場機会こそ恵まれなかったものの、セリエAのトップ4に入る強豪クラブで、ブラジル代表のブルーノ・レゼンデら海外のスーパースターたちと共に日々を過ごすなかで、世界基準で戦うことの大切さを痛感した。
さらに、大学3、4年時には短期派遣でセリエAのトップバレー・ラティーナでプレー。高さやパワー、スピードなど、より優れる選手やチームと対峙し、勝負することで、自身のプレーに求めるもの、意識や目標もさらに高いところに設定された。当時からすでに代表の中心選手としてプレーしていた石川は、代表が強くなるためには、海外でプレーをして「個」のレベルアップをすることが不可欠だと悟った。高いレベルで感覚を磨く大切さも知った。
「海外のトップチームでプレーしたい」
それを目指した結果が、後のVリーグを経由せずにプロになるという異例の決断へとつながった。
「“ベテラン感”みたいなものが出てきた」
大学時代に石川を指導し、海外へ送り出した当時の中央大バレー部監督・松永理生は、プロとして着々とキャリアを進むかつての教え子に、さらなる成長を期待している。
「プレーも当然変わってきていますが、立ち向かっていく姿勢やチームでの存在感が大きくなっていると感じます。今までは試すとか、耐えなきゃとか、そういうふうに考えながらプレーしていた部分もあったと思うのですが、今は自分がチームの得点源として確固たる自覚を持ってプレーしていますし、海外に行って経験を前倒ししたことによって“ベテラン感”みたいなものが出てきている感じがします。そういった域に入って、これからどんな姿を見せてくれるのか楽しみですね」