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33年前、大迫傑よりも速いペースで。
一緒に走って感じた中山竹通の殺気。
text by
金哲彦Tetsuhiko Kin
photograph byBUNGEISHUNJU/JMPA
posted2020/04/18 11:40
ソウル五輪の選考会を兼ねた1987年福岡国際マラソンで優勝した中山竹通。五輪本番ではメダルに届かなかったが、日本人最高位の4着に入った。
中山の気迫に引っ張られたレース。
雨の中、緊張を吹き飛ばすようにスタートから中山は飛ばした。
5キロの通過は14分35秒。
到底ついていけるはずもないことは分かっていても、私を含めた後続集団は実力を遥かに上回るハイペースで突き進んだ。「ついていけるのか?」という生ぬるさはなく、とにかく「ついていくしかない」。中山の気迫に引っ張られたのだ。
当時の世界記録はカルロス・ロペス(ポルトガル)の2時間7分12秒だ。独走する中山の中間点はその記録を上回る1時間1分55秒、世界記録を1分29秒も上回っていた。単純に倍にすると2時間3分50秒というとてつもないペースだ。
ちなみに、2020年東京マラソンで2時間5分29秒の日本記録を樹立した大迫傑(ナイキ)の中間点1時間2分00秒よりも早い。カーボン入り厚底シューズもない33年前のことである。
「覚悟」を持って挑むことの大切さ。
雨は後半みぞれに変わった。そして、さらなる強風で体温を奪われた選手たちの足を止めた。前半からとてつもないオーバーペースで走っている選手たちにとっては地獄のレースとなった。
最後は失速した中山だったが、優勝タイムは2時間8分18秒、日本歴代2位の記録を打ち立てた。
「這ってでも出てこい」という覚悟をもった中山に「オーバーペース」という言葉はない。「悪天候」という言い訳もない。瀬古がいようがいまいが関係ない。中山はただ命がけで走りきったのだ。
ちなみに、私は2時間15分7秒で20位という成績。後半は無残なまでにペースダウンした。オーバーペースだったという言い訳はない。マラソンという舞台で真剣勝負し、そして潔く負けた。中山の強さは実力だけではない、「覚悟」の大切さを私たちに教えてくれた。