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コロナ禍“日本人追い出し騒動”の
翻訳記事と、ドイツ在住記者の思い。 

text by

中野吉之伴

中野吉之伴Kichinosuke Nakano

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photograph byGetty Images

posted2020/04/15 11:40

コロナ禍“日本人追い出し騒動”の翻訳記事と、ドイツ在住記者の思い。<Number Web> photograph by Getty Images

日本人観客が退出させられたニュースが大きく報じられたが、RBライプツィヒが取った対応についても心に留めておきたい。

精査を読み手に丸投げしてないか。

 情報の出所はどこなのか。どんな背景からきた記事なのか。その翻訳はあっているのか。どこまで信憑性があるのか。時間をかけて調べる。考察する。様子を見る。

 内容によっては、しっかり調べたところで出所を明かせない事態もある。プライバシーや立場がある。どんなに頑張っても調べ切れないこと、時間的な問題もある。

 そうだとしても、いまは情報、記事を丁寧に扱うという意識が薄れてきて、どんな内容でも「地元紙○○によると」という言葉さえつければ大丈夫、みたいな空気が広がっていると感じるのは僕だけだろうか。

 情報を精査する作業が書き手サイドではなく、読み手サイドに丸投げされている傾向はないだろうか。ライプツィヒの一件はその流れに翻弄されたようにも思える。

ちょっとの間違った解釈で。

 見出しの派手さも影響して、最初は何でもないところから、ちょっとの間違った解釈や翻訳を介すことでずれが生じ、それがSNSを通じて広まり、さらに大きく間違った解釈や翻訳へとつながってしまう。

 それは、ものすごく危険なことだ。

 そうなると受け取る側がそうした事情を多少なりとも理解し、警戒することも大切になる。先入観での決めつけは危ない。見出しに飛びついて信じるのではなく、できるところで自分でも調べてみることが必要だ。

 もちろん、良識あるジャーナリストやメディア媒体だって頑張っている。ちょうどいい塩梅でインパクトのある見出しを熟考しているのもわかる。

 また、こちらがせっかく丁寧に注意深く、いろいろなところに配慮して原稿をあげても、読み手が流し読みしたのか、違う解釈をすることもある。

 書いてあることを読まず、「何々についての言述がない」などと言われることもある。伝えたいことがストレートに伝わらないもどかしさ。せめて、書いてあることはしっかり読んだうえで、反応いただきたいとは常に思っている。

【次ページ】 情報過多のいまだからこそ。

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