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投打で球宴出場、軽妙洒脱な解説。
関根潤三の近鉄愛と江戸っ子ぶり。 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byKyodo News

posted2020/04/11 09:00

投打で球宴出場、軽妙洒脱な解説。関根潤三の近鉄愛と江戸っ子ぶり。<Number Web> photograph by Kyodo News

半世紀以上前の成績とはいえ、規定投球回数と規定打撃を6回ずつクリア。関根潤三はNPB史に残る選手なのだ。

打撃10傑4回、強肩の外野手に。

 関根は投手時代から打撃が抜群によかった。打率3割を2回、投手だった1956年までの打撃成績は672打数185安打、打率.275である。

 そして1957年に自ら申し出て外野手に転向した。当時の近鉄は昨年亡くなった小玉明利以外にめぼしい打者はおらず、左打者としてすぐに中軸を打ち、打撃ベストテンに4回入る好打者になったのだ。また投手出身らしく強肩の外野手で1962年には16補殺を記録している。

 投手時代は選手数が足りなかった1950、51年に一塁を15試合守っただけ。代打で起用されることはあったが、ずっと投手だった。そして打者に転向した1957年に2試合だけ登板しているが、その後は一度も投げていない。

 そういう意味では「二刀流」ではなく「投手から野手に転向した選手」ではあった。しかし両方で一流の成績を残した稀有な選手だった。

大谷まで出なかった大記録って?

 関根は規定投球回数に6回達し、規定打席にも6回達している。投打の規定数にともに複数回達した選手は他にもいる。

 野口二郎(投9回、打7回)、野口明(投3回、打12回)、西沢道夫(投5回、打10回)、服部受弘(投2回、打7回)らがそれにあたる。しかし彼らはすべて投打の分業が明確でなかった戦前にデビューした選手だ。2リーグ分立後にデビューした選手は関根だけなのである。

 関根と同時期の田宮謙次郎は1年目に11勝し、のちに野手として首位打者になっているが、投手としては規定投球回数に達したことはない。

 一方で関根は投手として1回、野手として4回オールスターに出場。これも大谷翔平が2013年に野手、'14年に投手としてオールスターに出るまでは関根だけの記録だった。

 最終年に巨人に移籍。引退後はコーチ、監督を務めた。また、解説者としても活躍した。特に『プロ野球ニュース』が始まってからは、この番組に欠かせぬ名キャラクターとなった。

【次ページ】 「名調子タイプ」の解説者として。

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