草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
プロ野球で22年ぶりの実施なるか。
歴代ダブルヘッダー名勝負10選。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2020/04/08 19:00
1988年10月19日近鉄対ロッテ。優勝が絶望的な状況となり、頭をかかえる近鉄ナイン。仰木監督(左)もグラウンドに背を向けた。
ミスターの名文句は2試合目の後。
<第2位> 1974年10月14日
ランキング第4位で紹介した中日の優勝後、10連覇を阻まれた巨人は長嶋茂雄が現役引退を表明。その2日後の14日、中日とのダブルヘッダーがラストゲームとなった。
第1試合ではラストアーチを記録。その試合後に、予定にはなかった場内一周を行った。第2試合終了後に「わが巨人軍は永久に不滅です」の名文句が生まれた。本来なら13日に組まれていたダブルヘッダーは、降雨のため順延に。これにより中日の優勝パレードと重なったため、主力はパレード、試合には控えクラスが回ったのも有名なエピソードだ。
がっくし近鉄、語り継がれる「10・19」
<第1位> 1988年10月19日
4位と2位がつながる物語であるように、栄えある1位は3位の試合へとつながっていく。かの有名な「10・19」。連勝なら優勝という近鉄は、川崎でのロッテとのダブルヘッダーに臨んだ。
第1試合は白熱の攻防。「9回で同点なら引き分け」との規定があり、3対3の二死二塁という絶体絶命の状況に陥った。ここでこのシーズン限りの現役引退を決めていた梨田昌孝が、代打で勝ち越し打を放った。現在、新型コロナウイルスに感染し、懸命に闘病中の梨田氏である。病に負けず、頑張ってほしいと強く声援を送りたい。
この一打でマジックは1。そして終了からわずか23分後の18時44分に始まった第2試合も点の取り合いとなった。近鉄1点リードの8回。エースの阿波野秀幸が第1試合に続き、救援のマウンドに上がった。ところが一死からロッテ高沢秀昭に同点本塁打を浴びてしまう。今度は「4時間を超えて新たなイニングに入らない」という規定が近鉄の前に立ちはだかった。9回、ロッテの有藤道世監督が審判に抗議した「9分間」が優勝の行方を左右した。延長10回表、近鉄の攻撃が終わった段階で残り3分。絶望的な状況で守備につき、時計の針が22時44分を指したところで西武の優勝が決まった。昭和ラストイヤーのこの悔しさが、平成元年の雪辱へとつながっていった。
◇ ◇ ◇
当時のダブルヘッダーは観客の入れ替えを行わず、消化試合だと思っていたチケットがプラチナに変わるお得感もあった。仮に今季、導入するとすればベンチ入りの枠を増やしたり、観客の入れ替え時間を設けるなど規定の整備が求められることだろう。
前提として公式戦は実施できるのか。誰にも見通せないことかもわからないが、安心して野球観戦できる日が訪れることを心から待ち望む。