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“カテナッチョ”は死語にならない。
吉田と冨安がイタリアにいる価値。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2020/03/20 20:00
現地に倣うと「カテナチオ」でなく「カテナッチョ」。守備の国を象徴する言葉だ。写真は1990年W杯準決勝でマラドーナ(右)と対峙する主将ベルゴミ。
「あのとき運さえあれば優勝できた」
連盟お抱えの代表コーチとして'70年メキシコ大会以来、5度のW杯を経験したビチーニは、U-21代表監督として多くの子飼い選手を育て上げ、フル代表監督に就任すると満を持して自国開催の大会に臨んだ。
母国の大声援を受け、鬼気迫る堅守を見せたアッズーリは、出場国唯一のグループリーグ無失点を含む3位決定戦までの7試合で5度完封勝ちしたもののアルゼンチンとの準決勝でPK戦の末に惜敗。白髪のビチーニは「悔恨はないが、あのとき運さえあれば優勝できた」と笑った。
熱戦が続いた大会は“魔法の夜”と呼ばれ、'90年7月3日の準決勝イタリア対アルゼンチン戦で記録した国内最高視聴率87.25%は未だに破られていない。
ビチーニから返ってきた言葉。
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プレッシングかカテナッチョか、ゾーンかマンマークか、矛盾と革新に満ちた時代を生きたビチーニに、イタリア・サッカーとは何でしょうと定義を尋ねたら、穏やかだが力のこもった言葉が返ってきた。
「決して美しくはないかもしれない。だが、込められる情熱は本物だ。サッカーに対して裏切らない、という思いは鋼のように強い」
サッカーは人生を映す鏡だ。楽しいサッカーがあっていい。でも、人生は楽しいときばかりじゃない。歯を食いしばらなくてはならないときもある。
我々はそういうときにどう耐え忍び、どう苦境を脱出するかを、カテナッチョの精神に見出すのだ。
ビチーニは2年前に故人となってしまったが、彼の言葉は今もこの国に生きている。