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“カテナッチョ”は死語にならない。
吉田と冨安がイタリアにいる価値。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAFLO
posted2020/03/20 20:00
現地に倣うと「カテナチオ」でなく「カテナッチョ」。守備の国を象徴する言葉だ。写真は1990年W杯準決勝でマラドーナ(右)と対峙する主将ベルゴミ。
DFの名選手を生んできたイタリア。
その後、南米サッカーの隆盛とオランダ発“トータルフットボール”の出現で、カテナッチョの勢いは衰えた。決勝戦でイタリア代表がカナリア軍団に1-4で敗れた'70年メキシコW杯、そしてインテルがアヤックスに0-2で負けた'71-72年シーズンのチャンピオンズ・カップ決勝戦をもって、戦術としての“カテナッチョ”は終焉を迎えたとされている。
カテナッチョはリベロありきの戦術だと先に書いたが、'80年代以降にイタリアが輩出した世界的名DFは枚挙に暇がない。
天才的な戦術眼で最終ラインを統率し、ミランとアッズーリの主将を務めたフランコ・バレージとその後継者パオロ・マルディーニ。現在の若手DFには、2000年代のミランでCLを2度制し、優雅なテクニックと激しい当たりを兼ね備えたアレッサンドロ・ネスタに憧れた者も少なくない。
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インテリスタなら'82年スペインW杯優勝の“大叔父”ジュゼッペ・ベルゴミを、ユベンティーノなら同大会でマラドーナやジーコを執拗なマンマークで封じ込めた潰し屋クラウディオ・ジェンティーレの名を挙げるだろう。2006年ドイツW杯で黄金の賜杯を掲げたのも稀代のストッパー、ファビオ・カンナバーロだった。
スペイン代表ですら“たった1回”扱い。
世界一になったことがない東洋の島国出身の身としては、ワールドカップの栄冠を4度も勝ち取ったイタリア人が羨ましくて仕方ない。
イタリア人にかかれば、あのスペイン代表ですら“たった1回”扱いで、その事実に誰も異を唱えることはできない。
だから、彼らの強さの秘密を万分の一でも知りたい、と僕はいつも思っている。
7、8年前、'90年イタリアW杯でアッズーリを率いた元代表監督アゼリオ・ビチーニに会える機会があった。FIGC(イタリア・サッカー連盟)の技術部長職にいた彼のオフィスで、メモする手に汗をかいたことを覚えている。