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シャラポワ自伝の翻訳者が語る、
苛烈な言葉と繊細な内面の二面性。
posted2020/03/12 20:00
text by
金井真弓Mayumi Kanai
photograph by
AFLO
マリア・シャラポワがひっそりとコートを去った。生涯グランドスラム達成の偉業を成し遂げ、美貌と力強いプレーで一世を風靡しながらも、選手生活の晩年は怪我やドーピング騒動に悩まされた。そんな彼女が自分を語った『マリア・シャラポワ自伝』(文藝春秋、2018年)がある。筆者はこの本の翻訳者だが、翻訳したときに印象に残ったことを紹介したい。
シャラポワは自身の強みを「あきらめない」こと、「タフ」であることだと言う。「ボールを打てば、どんな問題も片づいてしまう」と、初めてラケットを握った4歳のときから、ひたすらボールを打ち続けてきた。彼女は自分をこう分析する。
「誰もがやめてしまったあとでもさらに5分間動くプレーヤー、風が吹きすさび、雨が降りしきる中で第3セットの後半まで辛抱し続けるプレーヤーが勝利する。それがわたしの才能だった」
タフな精神力に加えて、シャラポワは「どんな相手も倒したい」という強いモチベーションを持っていた。原文では「I want to beat everyone」だが、ここはイタリック体でわざわざ強調され、シャラポワの激しい思いを伝えている。アスリートが敗北を嫌うのは当然だが、シャラポワも勝利への執念や敗北への嫌悪を繰り返し語る。
「勝利とは、ただ勝つことではない。叩きのめされないことなのだ。勲章やトロフィーは古くなるけれど、敗北はずっと心に残る。わたしはそれがいやだ」「敗北は決して楽なものにならないし、決して過去のことにはならない」と。
決してほかの選手と友だちにならない。
勝利への強い思いは、どのプレーヤーもライバルだと何度も語られることからも読み取れる。
シャラポワはほかの選手と決して友達にならなかった。「戦場で友人を作ることにわたしは関心がない。友達になったら、武器を捨てることになる」と、子どものころからまわりの選手と距離を置いた。プレーヤー同士が仲良さそうにしていても、そんな友情はうわべだけだとシャラポワは容赦なく切り捨てる。「マスコミ向けにでっちあげの友情を見せつけるよりは、自分に正直で誠実に生きるほうがいい」と。
引退するまでほかのプレーヤーと親しくなることはないという姿勢も、シャラポワが一流の選手になるために必要だったのだろう。テニスを離れた場では親しい友人がいても、彼女はプライベートとテニスの世界とをきっちり分けていたのだ。