テニスPRESSBACK NUMBER
シャラポワ自伝の翻訳者が語る、
苛烈な言葉と繊細な内面の二面性。
text by
金井真弓Mayumi Kanai
photograph byAFLO
posted2020/03/12 20:00
コート上のシャラポワに「妖精」というニックネームは似合わない。彼女は誰よりもファイターだった。
世界を回っても、やることは同じ。
「テニスというこのゲーム、このスポーツ、ツアーばかりのこの人生はカーニバルの回転木馬みたいなもの。いつも同じ馬やユニコーンがいて、同じくすんだベンチがあって、いつだって同じ女子やコーチがぐるぐる回っている」
ひとつのトーナメントが終わると、次のトーナメントへと移動していくプレーヤーたちが一箇所に落ち着くことはほとんどない。パリやロンドンへ行っても、美術館やレストラン巡りを楽しむわけではなく、どこの国でもやることは同じ。試合に出て勝つことだけが目的だ。ごく若いころから各地を転々とする生活をしてきたシャラポワは「生活の場がどこにもない」「すべてが流れていくだけ」と語る。「残るのはテニスラケットだけ。いつもそばにあるのはラケットだけだ」という言葉は選手の孤独さを伝えている。
ウィンブルドンへの特別な愛情。
シャラポワがいちばん愛した遠征先がウィンブルドンだったことは何度か語られる。「特別な地」と呼び、愛情込めて描写している。初めてのウィンブルドンではこぢんまりとしたコテージを借りたが、その日々を「夢のような別の暮らし」「別の時代に別の場所で生まれていたら、わたしが営んでいたかもしれない生活」と言う。狭い部屋で陽光とともに目覚める朝。玄関ポーチに置かれた新鮮なミルクの瓶を取りにいく楽しさ。シャラポワにとって、つかの間の落ち着ける場所だったのだろう。彼女が四大大会で初優勝したのがウィンブルドン選手権だったのは、こよなく愛した地での大会だったせいもあるかもしれない。
ウィンブルドンでの選手や観客が去ったあとの描写も印象的である。「塀や煉瓦の壁に絡みついた緑のツタや、芝生にただうっとりと見とれたことを覚えている」。シャラポワというプレーヤーは派手なイメージやタフさばかりが強調されがちだったが、詩的で繊細な内面も備えていることをうかがわせる。