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日本ラグビーが取り組んだ育成と強化。
13年前に蒔いた「W杯8強」への種。
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/02/17 11:50
W杯8強の序章は13年前だった。世界を驚かせた日本ラグビーの背景には、一貫した育成と強化に取り組んだ男たちの存在があった。
高校代表の遠征先が北半球に。
ここにATQに関わった人びとの先見性を示す事実がある。プロジェクト公表の2年後のことだ。
'09年春に行われた高校日本代表の海外遠征は、慣例だったオーストラリアではなく、北半球のイングランドだった。
翌'10年、桐蔭学園のFB松島幸太朗が2年生で飛び級参加した高校ジャパンの遠征先は、こちらも北半球のフランス。
翌'11年にはスコットランドとウェールズに遠征。U19スコットランド代表から14年ぶりの勝利を上げ、翌'12年には坂手淳史、松田力也を擁する高校日本代表が、今度はU18フランス代表から金星を上げている。
なぜ、高校日本代表の遠征先を北半球に変えたのか。
「日本がW杯でベスト8に行くとしたら、プールステージで倒すのは北半球だろうと。だから遠征先を北半球に変えました」(松井氏)
「シックス・ネーションズ(欧州6カ国対抗戦)から倒すだろうと考えていました。ですから狙い通りです」(山本氏)
日本が8強進出を実現するとしたら、現実的な予選グループの相手は、ニュージーランドや南アフリカといった南半球勢だろうか。欧州6カ国対抗戦「シックス・ネーションズ」の参加国ではないだろうか――。そこまで睨んで、遠征先を北半球に変えた。
シックス・ネーションズ参加国とはすなわち、イングランド、フランス、ウェールズ、イタリア。そして、アイルランドと、スコットランドだ。
「彼らは高校時代からヨーロッパに行って、スコットランドやフランスに勝っていました」(松井氏)
「高校日本代表に携わってきた方々にしてみれば、'19年W杯の成績はそこから繋がっていると感じていると思います」(山本氏)
消滅したATQから引き継がれるビジョン。
現在も日本協会に所属する中里氏は「ATQという用語は'07年から3年程度でほぼ使われなくなりました」と振り返る。日本協会のリソースに対して理想が高く、早期に費用対効果が現れなかったことが要因の一つという。ただ今日に繋がる多くの取り組み、成果を残した。
「『ハイ・パフォーマンス』という概念の導入と、IRBと資金面・プログラム面で連携して取り組んだという意味ではATQが最初だったと思われ、その後の様々な取り組みのスタート点となったと言えます。担当や役回りが変化しながらも、ATQのビジョンは引き継がれて現在に至っていると感じます」(中里氏)
'09年7月28日だった。アイルランド(ダブリン)でのIRB理事会で、'19年W杯の日本開催が決定した。日本は2度目となる招致レースを制したのだ。「時期尚早」という声と戦いながら招致に尽力した「ミスターラグビー」故・平尾誠二氏ら、日本のラガーマン達の大きな夢が叶った。
それから10年後。
ラグビー日本代表“ブレイブ・ブロッサムズ”は史上初のW杯8強を成し遂げた。まさに悲願成就だった。ファンの声援と関係者の尽力により、アジア初のラグビーW杯は、未曾有の大成功を収めた。
ただ、日本ラグビー史上最も大きく美しい花は、突然そこに咲いたのではなかった。土壌があり、蒔かれた種があり、水を撒いてきた先達がいた。何度も英雄の死に見舞われながらも、日本ラグビーは暗中模索を続けてきた。彼方に夜明けを夢見て、情熱のリレーを続けてきた人びとも、W杯日本大会成功の功労者に違いないのだ。