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日本ラグビーが取り組んだ育成と強化。
13年前に蒔いた「W杯8強」への種。 

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多羅正崇

多羅正崇Masataka Tara

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photograph byNaoya Sanuki

posted2020/02/17 11:50

日本ラグビーが取り組んだ育成と強化。13年前に蒔いた「W杯8強」への種。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

W杯8強の序章は13年前だった。世界を驚かせた日本ラグビーの背景には、一貫した育成と強化に取り組んだ男たちの存在があった。

海外遠征はご褒美ではなく強化。

 まず独自色の強かった高校日本代表の慣習にメスを入れた。以前の高校日本代表は、3年生が夏に南半球へ遠征していた。しかしW杯8強を見据えるのであれば、逸材は1、2年生からでも世界を経験した方が良い。

 ATQ(8強進出)というビジョンからの逆算で、積極的に飛び級を行ったのだ。松井氏が振り返る。

「以前の高校ジャパンは3年生に対する『ご褒美』のようなところがありましたが、良い選手は少しでも早く強化することにしました。W杯日本大会に出場した松島(幸太朗)、姫野(和樹)、松田(力也)は、高校ジャパン候補として1年生から練習に参加させました」

「『なぜ3年生が少ないのか』と反発を受けたこともあります。ただ高校ジャパンで完結してしまい、日本代表に繋がらないのでは意味がない。W杯ベスト8を睨んで飛び級を始めました」

 別格の高校生は、'08年に初結成したU20日本代表にも飛び級で選抜した。

新潟国体で見つけた“傑物”。

 国体に稀に見る逸材がいた。

 当時は奈良・天理高の監督である田中克己氏が全国の国体を自費でまわり、献身的に未来のジャパンを探していた。その田中氏の下で動いていた前出の山本氏は、新潟国体で傑物を発見。のちに山本氏は、稲垣という名の高校生をジャパンへ通じる道に引き入れる。

「新潟国体で見ていた稲垣(啓太)は、その世代ではフロントローとして別格でした。高校代表には入れず、花園の後に飛び級でU20代表に入れました。そこは思い切ってやりました」(山本氏)

 後に国民的な人気者になる稲垣は、'09年のU20代表に高校生で唯一選出された。

 こうした英断は、ATQ(W杯8強)というビジョンからの逆算だった。

 稲垣啓太、松島幸太朗、姫野和樹、松田力也。彼らのような逸材がいつかW杯8強を成し遂げる――それがATQに関わった男たちの狙いであり、願いだった。

【次ページ】 「ジャパンの技術をガラス張りにする」

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