熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
本田圭佑はボタフォゴの救世主か。
セードルフ級期待とファンの表裏。
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byGetty Images
posted2020/02/03 20:00
自身7カ国目の挑戦はサッカー王国ブラジル。本田圭佑らしい選択だけに、ぜひ活躍を見せてほしい。
セナのおかげで「ホンダ」大好き。
この一連の報道に、ボタフォゴのファンが即座に、しかも鋭く反応した。
本田のインスタグラムに、「ぜひボタフォゴへ来てくれ!」といったポルトガル語や英語のメッセージを大量に送りつける。
さらに、26日夜にファン有志がツイッターに「#本田さんボタフォゴに来て」(日本語)を立ち上げ、これが翌日午後、ブラジル国内のトレンド首位に躍り出た。
ブラジルならではの、またいかにもブラジル人らしい反応もあった。
この国では、本田技研が1974年からオートバイを製造販売しており、1992年から乗用車の輸入販売を始め、1997年にはシビックの国内生産を開始した。
国民的英雄だったレーシングドライバー、アイルトン・セナがつてF1でホンダのエンジンを搭載したマシンを駆って大活躍したこともあり、ホンダというブランドへの評価は極めて高い。
ファンの間からは、「ホンダ(本田技研)がボタフォゴのスポンサーになったら、すぐに車やオートバイを買うぞ」という声が続出。「#ホンダ、ボタフォゴのスポンサーになって」もトレンド首位となった。
不振が続く古豪の起爆剤に。
ボタフォゴ・ファンの心理は、「近年、成績が振るわないクラブの起爆剤となると同時に、本田の人気と知名度によって日本やアジアのスポンサーにクラブを支援してもらいたい」というものだった。
そこには、“古豪”ならではの苦悩も窺える。
ボタフォゴ・デ・フットボール・エ・レガッタス(以下、ボタフォゴ)は、リオのボタフォゴ地区に1894年に創設されたボートクラブと1904年に創られたフットボールクラブが1942年に合併して設立された。
フラメンゴ、フルミネンセ、ヴァスコダガマと並ぶリオの4大クラブの1つで、ファンにはインテリが多い。
クラブを代表するレジェンドは、1948年から1964年までボタフォゴひと筋でプレーし、ブラジルのフットボール史上最高の左SB(つまりロベルト・カルロスより上)と評されるニウトン・サントス、天才的な右ウイングで国内ではキング・ペレを凌ぐ人気者だったガリンシャ(この2人は1958年と1962年のW杯の優勝メンバー)、パワフルな右ウイングで1970年W杯優勝メンバーのジャイルジーニョらである。