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08年に独立、16年にFIFA加盟……。
コソボがサッカーの力で蘇る!
posted2020/01/22 11:40
text by
ロマン・ウェルテルRomain Welter
photograph by
Romain Welter/L'Equipe
バルカンの小国コソボは、ユーゴ内戦の際にはコソボ紛争('98~'99年)の起こった地域として有名である。独立を果たした現在はFIFAにも加盟し、スイス人監督ベルナール・シャランドのもと、EURO2020予選において直接の本大会進出こそ逃したものの、この3月には初出場を賭けてプレーオフを戦う。
シャランドは有能な監督である。筆者(田村)も面識があり、スイスU-21代表監督(2001~'07年)当時は、彼の車に乗って何度もスイスの若き代表の練習を見に通ったこともあった。旺盛に監督業をこなし、すべて規格外のシャランドを、スイスのジャーナリストたちが「あいつはクレイジーだ!」と、愛情を込めて語っていたのもよく覚えている。
そのシャランドに率いられたコソボ代表は、課せられたふたつの崇高な使命――サッカーによりコソボ国民の日常生活に彩りを与え、ヨーロッパ大陸の目をコソボに向けさせる――を成し遂げた。
コソボでいったい何が起こったのか。『フランス・フットボール』誌12月10日発売号で、ロマン・ウェルテル記者がリポートしている。
監修:田村修一
あと一歩でEURO2020出場だったが……。
コソボが独立を宣言したのは、つい2008年のことに過ぎない。FIFAへの加盟は2016年。初めて参加したロシア・ワールドカップ予選では、アイスランド、クロアチア、ウクライナ、トルコ、フィンランドと同じグループに入り、勝ち点1しか獲得できずに終わった。
ネーションズリーグではディヴィジョンDを1位で終えるという成功を収めたものの、本当の実力が試されるEURO2020予選では、果たしてどれだけできるのかという不安を拭い去れずにいた。
だが、いざ蓋を開けてみると……“ダルダネット(コソボ代表の愛称)”は予選最終節直前まで突破の可能性を残し、最終的には予選突破ならずの第3位(勝ち点11)に終わったものの、大きな躍進を見せたのだった。
代表監督を務めるスイス人のベルナール・シャランドは、「プレーし、進化し、学ぶ」という予選の目標は達成できたと胸を張った。