サムライブルーの原材料BACK NUMBER
F・マリノス優勝と栗原勇蔵の引退。
思い出す2004年の連覇と松田直樹。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byNaoya Sanuki
posted2020/01/05 11:50
2003年、2004年の連覇の中心選手だった“ミスター・マリノス”松田直樹。2011年8月4日、永眠した。
「勇蔵くんが手を抜かないなら、誰も抜けない」
チームの兄貴分的な存在であった李忠成に今季、チームの一体感について尋ねた際、彼はすぐにこう返した。
「大きかったのは勇蔵くんの存在。勇蔵くんが手を抜かないなら、誰も抜けないですから」
栗原は最後のシーズン、リーグ戦で出番がなかった。入団したばかりの2002年以来のことだった。それでも弱音も吐かず、グチもこぼさず、手を抜かず、チーム最年長は毎日のトレーニングをこなしてきた。
リーグ2連覇以来、栗原が主力となったシーズンでリーグ優勝はない。リーチが掛かっていた2013年も終盤の失速で取り逃がした。
しかし一つ言えるのは、栗原は「勝てなかった横浜」の象徴ではないということだ。
再び勝つために、チームに顔を向けて時間を掛けながら一体感の醸成に一役買ってきた。肩肘張らず、自然な形で。鹿島アントラーズと同様にJ2に降格経験のないクラブの雰囲気をつくってきた。
だからこそ先輩からも後輩からも、みんなに慕われてきた。
強いチームとは何かを学べた。
今季、扇原貴宏とともにキャプテンを務めた喜田拓也は栗原と同じようにユースから昇格し、チームの主力に成長した。
入団2年目で優勝を経験した栗原とは対照的に、喜田は入団1年目の2013年に優勝を取り逃がしたが、共通しているのは、強い時代を経験して強いチームとは何かを学べたことであった。
喜田は言った。
「みんな自分の考えや自分のスタイルがあるなかで、チームの一員として動いていかなきゃいけない。やっぱりそこに尽くせる人が多かったというか、チームが勝つためにやろうとする人が多かった。
チームのために勝つ、チームのために頑張るというのが当たり前になっていて、それがピッチに立つ者の責任だと感じさせてくれました」