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「松井が寝てるとマンションまで呼びに…」長嶋茂雄は“遅刻する松井秀喜”を待った…なぜ怒らなかったのか? 2人の師弟関係「ベンチで目も合わせない感じ」

posted2025/06/05 06:00

 
「松井が寝てるとマンションまで呼びに…」長嶋茂雄は“遅刻する松井秀喜”を待った…なぜ怒らなかったのか? 2人の師弟関係「ベンチで目も合わせない感じ」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

長嶋茂雄の訃報を聞き、アメリカから緊急帰国した松井秀喜。“監督と選手”を超えた2人の関係

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中村計

中村計Kei Nakamura

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Sankei Shimbun

長嶋茂雄の訃報を聞き、アメリカから緊急帰国した松井秀喜。「人目があるところでは長嶋は変わらず松井を遠ざけた」。“監督と選手”を超えた2人の本当の関係――【全2回の1回目/2回目へ】
「<証言で追う長嶋×松井の師弟愛> 絆は永遠に。~天才指揮官と最強打者の幸福な旅路~」(2013年5月9日発売、Number828号掲載)を特別に無料公開する。

◆◆◆

 最初は長嶋茂雄の一方的な愛情だった。

松井と長嶋…最初の関係

 松井秀喜の巨人入団2、3年目のことだ。当時、長嶋の専属広報だった小俣進が語る。

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「松井が入った頃の巨人は仲良しグループみたいな雰囲気があったんですけど、松井はそういうのに馴染めないでいた。だから、目の前にいいお手本がいるじゃないか、と」

 小俣は長嶋のことを指していた。V9時代の巨人は群れることを嫌う個性派集団だった。そんな中でも誰よりも孤高を持し、ひときわ超然としていたのが長嶋だったからだ。

 その場に偶然居合わせた選手サイドの広報、香坂英典は、そのときの松井のキョトンとした表情が忘れられないと言う。

「松井が『誰のこと?』っていう顔をしてたんです。たまたま長嶋監督が通りかかったので、2人でほらほらと。それでも『ふーん』って。ぜんぜんピンときてない」

 松井が生まれたのは1974年6月12日。その4カ月後の10月14日に、長嶋は「巨人軍は永久に不滅です」という名言を残して現役を退いた。松井は現役時代の長嶋の輝きをまったく知らない世代なのだ。

 香坂は世代間ギャップを痛感していた。

「我々とは感覚がぜんぜん違った。あの時点では、松井にとって長嶋茂雄はまだ、いち監督に過ぎなかったんだと思いますよ」

長嶋の厳命「アドバイスはするな」

 今になって思えば、「運命の赤い糸」だった。

【次ページ】 松井を待つ長嶋「でも松井が来ると…」

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