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F・マリノス優勝と栗原勇蔵の引退。
思い出す2004年の連覇と松田直樹。

posted2020/01/05 11:50

 
F・マリノス優勝と栗原勇蔵の引退。思い出す2004年の連覇と松田直樹。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

2003年、2004年の連覇の中心選手だった“ミスター・マリノス”松田直樹。2011年8月4日、永眠した。

text by

二宮寿朗

二宮寿朗Toshio Ninomiya

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Naoya Sanuki

 最後はやはりアイツが持っていった。

 2019年12月7日、J1最多の6万3854人をのみ込んだ日産スタジアム。15年ぶりのリーグ制覇を決めた横浜F・マリノスが歓喜の優勝セレモニーを行なった後、現役引退を発表した栗原勇蔵がピッチ上で挨拶に立った。

「友達もいっぱい来てくれましたけど、もう帰ったかもしれません」

 ドッと笑いが起こる。

 真面目な挨拶はハマの番長に、ちょっと似合わない。

 肩の力を抜いて発する一言を、スタンドも待っていた。あー、この感じ。笑いながらも何だかセンチメンタルになってくる。リラックスを誘う何とも言えない脱力感は、ごつい癒し系でもある。

「みなさんに、最後お願いがあります。あっ! マツさんかと思いました。ハハハ」

 上空にあるカメラの存在に驚き、天国にいる松田直樹のイタズラと勘違いしたようだ。

自分のチャントをサポーターに頼み込んだ。

 そのついでに夜空に目をやって「引退します」と報告した。この後、「最後のお願い」として自分のチャントをサポーターに頼み込んだ。

 チームメイトと一緒に優勝シャーレを掲げる際には、永久欠番である松田の背番号3を着込んだ。さりげなく熱いことをやってのけるのも栗原らしいと言えようか。

 今のF・マリノスは、リーグ2連覇を果たした2003、2004年の姿をとどめない。

 パートナーシップ契約を結ぶマンチェスター・シティFCのホールディング会社「シティ・フットボール・グループ」(CFG)の情報量を活用するチームづくりを進め、アンジェ・ポステコグルー監督のもとで「堅守」から「超攻撃」に大転換された。

 選手の入れ替えも激しく、2連覇当時をメンバーで知るのは栗原のみになった。

【次ページ】 2003年、試合終了間際に奇跡が。

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