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大迫勇也でも収められないなんて。
2戦11失点ブレーメンが迎えた危機。
posted2019/12/21 11:40
text by
島崎英純Hidezumi Shimazaki
photograph by
Uniphoto Press
ブレーメンは、40代以上の日本のサッカーファンにとって馴染みのある街だと思います。 1968年から1988年にかけてテレビ東京で放送された『三菱ダイヤモンドサッカー』は、当時の日本においては世界のサッカーを知り得る唯一の番組コンテンツでした。
少年時代の僕は、この番組でスコットランドの稀代のFWケニー・ダルグリッシュや、ドイツ代表主将DFフランツ・ベッケンバウアーなどの存在を知ったのですが、なかでも羨望の眼差しを送っていたのがドイツ・ブンデスリーガ1部のブレーメンに所属していた日本人、奥寺康彦選手の勇姿でした。
屈強なヨーロッパの選手を相手に、本来はFWの奥寺選手が左サイドハーフで奮闘する姿には心を打たれましたし、金子勝彦アナウンサーや故人である解説者の岡野俊一郎さん(第9代日本サッカー協会会長)の「奥寺は『東洋のコンピューター』と言われている」という逸話などを聞き、ヨーロッパで1人頑張っている日本人プロサッカー選手に心から感銘を受けたものでした。
僕は、テレビに映し出されるスタジアムの雰囲気やファン・サポーターの佇まいにも興味津々でした。当時の日本サッカー界はまだプロ化されておらず、試合会場のスタンドは人がまばらでした。
なので、あの立錐の余地もないスタンドから大音量の声援が降り注ぐスタジアムはどんな空間なのだろうか、「いつか必ず、ブレーメンに行ってみたい!」と思っていたものでした。
ケルンからブレーメンは同じ道筋!
昨年、その夢が実現しました。
日本代表FWの大迫勇也が、1FCケルンからブレーメンへ移籍したからです。ちなみに、ケルンからブレーメンへの移籍は奥寺氏(ヘルタ・ベルリンを挟んでますが)と同じ道筋。これは熱い!
僕の住むフランクフルトからブレーメンまではドイツ鉄道ICEに乗ってハノーファーで乗り換え、約4時間半の行程で着きます。
ブレーメン中央駅前には路面電車とバス乗り場が混在していてカオス状態。そこからは「ブレーメンの音楽隊」の記念像が建つマルクト広場ではなく、10番の路面電車で西へ向かいます。両脇に昔ながらの商店街が軒を並べる2車線の道路を進んだ先、穏やかな流れを見せるベーザー川の岸辺にブレーメンのホーム、ベーザー・シュタディオンがあります。