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佐藤賢次HCからPG篠山竜青へ。
名門・川崎、継がれるレガシー。
posted2019/12/15 11:40
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
B.LEAGUE
「いいか、竜青。賢次さんのことをよく見て、ついていけばいいんだ」
これは、2010年から18年まで川崎ブレイブサンダースでプレーした栗原貴宏の言葉である(現所属は宇都宮ブレックス)。
「竜青」とは川崎の現キャプテンの篠山竜青のことであり、「賢次さん」とは2002年から11年まで選手としてチームに在籍し、11年から今年6月まではアシスタントコーチを務め、今年7月からヘッドコーチとなった佐藤賢次のことだ。
「どの選手をお手本とすれば良いのでしょう?」
栗原の日本大学時代の1年後輩である篠山が、チームに加入するにあたってそうたずねた。そこで栗原が挙げたのが、まだ現役だった佐藤の名前だった。
東日本大震災後に引退。
もっとも、篠山が選手としての佐藤をお手本にすることはかなわなかった。
2011年、3月11日に東日本大震災が起こったからだ。
当時のJBLはレギュラーシーズン42試合のうち6試合を残して、中止に追い込まれた。まだ日本のバスケットボールがファンのためのものではない時代ゆえの、決定だった。
そして、このシーズンをもって佐藤はひっそりとユニフォームを脱ぐことになった。
そもそも、シーズンが打ち切られた時点で、佐藤には引退するつもりはなかった。しかも、あのシーズンの佐藤は、東芝に入って9シーズン目にして初めてレギュラーポジションをつかみ、プレータイムも過去最長を記録していた。
だから、あの引退は佐藤にとって不本意極まりないものだったのではないかと一部のファンは考えているようなのだが……。
「悲しいという感じではないんですよ」
引退の経緯について振り返るとき、佐藤はさわやかにそう語る。