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佐藤賢次HCからPG篠山竜青へ。
名門・川崎、継がれるレガシー。
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph byB.LEAGUE
posted2019/12/15 11:40
12月12日現在、16勝3敗とリーグトップの勝率(.842)をあげている川崎。指揮官の佐藤賢次HC(右)と主将の篠山竜青の信頼関係は厚い。
「アシスタントコーチとして俺を支えて欲しい」
しかし、予定よりも早く訪れたシーズンオフのこと。家族と買い物に出ていたときに携帯電話がなった。北卓也からだった。
「現役を引退して、アシスタントコーチとして俺を支えて欲しい」
当時のヘッドコーチだった田中輝明が退くことが決まり、それまでアシスタントコーチだった北がヘッドへ。それにともない、新たなアシスタントとして佐藤に白羽の矢が立てられたわけだ。
選手として充実したシーズンを過ごした直後だけに、驚きと葛藤がなかったといえば嘘になる。しかし、電話をもらってから3日ほどで、大役を引き受けると佐藤は答えた。
全ての選手が社員として社業に。
そこには、いくつかの理由があった。
まず、当時の東芝のルールがあった。
当時のJBLには企業のバスケットボール部的なチームが多数あったが、それらの企業でもバスケットボールだけをするための契約が一般的になりつつあった。
一方、東芝は全ての選手に、社員として、社業に取り組むことを求めた。多くのサラリーマンがよほどの事情がない限り異動の指令を断れない(あるいは断らない)のと似たような感覚が、佐藤にはあった。
また、引退を望んでいなかった北が、現役続行の可能性について何度も会社と交渉を続けたすえ、最終的に首脳陣の要望を受けいれる形で現役を退くまでのプロセスも佐藤は知っていた。
北は2008年に引退しているが、そのときにアシスタントコーチだった田中がヘッドコーチへ昇格するのにあわせて、選手を退いてアシスタントになっていた。佐藤と同じパターンだったのだ。
「北さんも、あと2~3年は選手を続けたかったでしょうし、あれだけの選手だったからまだまだ活躍できたはず。そんな北さんがチームのために大きな決断をしたのに、僕が断るわけには……という考えもあったかもしれないです」