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J3最下位から一気に優勝の北九州。
J2昇格に至る密かなる革命の記録。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byJ.LEAGUE
posted2019/12/10 11:50
J3最小失点の堅固な守備陣をベースに、目先の勝利を追わず中長期的な戦略で優勝に至ったギラヴァンツ北九州。
いつの間にか「走れないチーム」に。
2017年からの転落速度も速かった。J3でダントツの戦力、予算規模と言われながら9位に。そして2018年は最下位。「リーグを安易に見ていた」と思われても仕方がない。2年間フィジカルコーチを置かず、「走れないチーム」に成り下がっていた。
2018年にはシーズン途中のブラジル人獲得により、監督がチーム戦術を変えなくてはならない由々しき事態に。完全に歯車が狂った。クラブは早々の昇格をひとまず諦め、J2復帰への3年計画を打ち立てた。しかし、成績降下→入場者・収入減→より選手が集まりにくくなるという悪循環の始まりは大いに予想された。
現に、2018年末にスポーツダイレクター(トップからユースの強化担当者)も兼任した小林は、当初こんな壁にもぶち当たった。
「オファーしても、J3の最下位だと選手にとっての優先順位は低いんです。返事のなかなか来ない選手に対しても、こちらから締め切りを決め、結局ダメなら『もういる選手でやろう』と腹を括った」(今年8月の練習取材時に)
例えばFW登録は4人。実績があるのは34歳、チーム在籍通算9年めとなる池元友樹のみだった。
開幕前の目標は「6位」!?
小林は開幕前にそんな選手たちに対して「6位」という目標を掲げた。そしてキャンプからある点に取り組んだ。
「フィジカルの充実です。昨年までいた選手はメンタルの回復が必要。そこに新加入の選手が絡んでくる。変われるのはフィジカル。3ヵ月で変化は出る。技術や特徴はプロのカテゴリーで変わるものではないので」(11月24日のJ2昇格決定後)
コレクティブ(組織的に戦う)なチームを作る。そのためには走れるチームにすること。
キャンプ時の週頭の練習は2部練。一方はランニングのみに充てた。週中の練習では筋トレのみの回も設けた。今季から就任した村岡誠フィジカルコーチによるメニューだった。選手の体脂肪率も管理した。選手をして「週明けの最初の練習が憂鬱」と言わしめたハードトレーニングだ。
「まずは走ってやり直せ」という説教じみた取り組みにも見えたが、小林にはある考えがあった。
「解説者をやっている時に思ったんです。J2以下のカテゴリーでは、上位に行こうと思ったら守備のラインを少し下げてやっている。ちょっと違うことをやってみたかったんです」
前からプレッシャーをかけるサッカーをやる。そのためには走れることが「前提条件」だった。いっぽうで前年度最下位、かつ新人や出場経験の少ない選手も多いチームに対し、「少し体の姿勢を変えると視野が違ってくる」という点から教えこんだ。
果たして結果は、開幕4連勝。少ない得点をなんとか守り切る、というものだったがまず選手の自信に繋がった。
「監督からは特別な言葉をかけられて、“メンタルが回復した”というのはあまりなかった。ふだんの練習から感じていったものです。強いて言うなら『6位』という目標設定で、いい意味で肩の力が抜けたというところで。開幕ダッシュの結果が一番の自信になった。これまでもプレシーズンに結果がよくとも、開幕後に苦しむということは多々あったので。公式戦での結果は大きかった」(FW池元友樹)