話が終わったらボールを蹴ろうBACK NUMBER
中村俊輔、横浜FCでの試行錯誤。
理想と現実の間で戦い続けた5カ月。
posted2019/11/27 11:50
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
J.LEAGUE
横浜FCが愛媛に2-0で勝利し、13年ぶりのJ1復帰を果たした瞬間、南雄太がピッチに座り、雄叫びを上げた。ベンチから次々と選手が飛び出してくる。
その中を中村俊輔は、1人グラウンドコートを着て、両足にアイシングをしたままゆっくりと出てきた。風邪の予防と痛めている足首のケアを忘れない。そんなところにも中村のプロとしての心構えが見え、思わず「違うな」と思った。
中村にとっては、忘れられない日になっただろう。
中村の長い選手生活にあっても、今シーズンは浮き沈みの激しいものだった。
ジュビロ磐田では開幕戦こそスタメンで出場したが、その後は足首の調子がもうひとつで試合出場のチャンスを失った(2試合出場)。自分を磐田に引っ張ってくれた名波浩監督の辞任もあり、最終的に横浜FCへの移籍を決断した。
「自分で自分のカテゴリーを落とした」
「自分で決めたことだから」と、覚悟しての移籍だったが、簡単にスタイルや考えを切り替えることは難しかった。
中村は海外でプレーし、マリノスではエースでキャプテンを務めるなど経験と実績は十分で、自分のスタイルとサッカー観に確固たる自信を持っている。それをレベルの高い舞台で見せることが中村のサッカー選手としての喜びであり、プライドだった。
だが、舞台はJ2になり、トップ下のポジションははく奪された。
「初めてJ2に来たし、自分で自分のカテゴリーを落とした。そこの葛藤がまずあった。その後に試合に出られなかったし、ベンチ外になって、これはもうJ3か引退しかない。そこまでの危機感というか、恐怖を味わった」
中村は7月31日の山口戦でJ2初出場をした後、出場と控えを繰り返していた。33節の町田戦も出場機会がなかったが、その試合後は「調子がいい選手がいるし、そこで自分が出れなくてもそういう時もあると納得している」と語るなど気持ちは前向きだった。
だが、この町田戦から3試合つづけて出番がなく、その後も金沢戦、京都戦と2試合つづけてベンチ外になった。