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ジャパンカップ史上初の外国馬ゼロ。
強い日本馬と、集った世界の名騎手。
posted2019/11/23 19:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
AFLO
今週の第39回ジャパンカップ(11月24日、東京芝2400m、3歳以上GI)は、レース史上初めて、外国馬ゼロで行われることになった。
「世界に通用する強い馬づくり」をスローガンに、ジャパンカップが創設されたのは1981年のことだった。
当初は日本の一線級が、海外の二流、三流に軽くひねられたが、第4回の'84年にカツラギエースが日本馬として初勝利を挙げた。翌年も日本のシンボリルドルフが勝利。しかし、その後はまた外国馬が勝ちつづけ、ルドルフ産駒のトウカイテイオーが第12回の'92年にようやく日本馬による3勝目をマークした。
それからしばらく日本馬と外国馬が勝ったり負けたりを繰り返していたのだが、2006年にディープインパクトが勝ってから昨年まで、日本馬の勝利がつづいている。外国馬が馬券に絡んだのは、その'06年に3着になったウィジャボードが最後だ。
しばしば指摘されているように、日本の厳しい検疫と高速馬場が、外国馬の関係者の参戦意欲を削いでいることは確かだろう。
アゴアシ付きの招待レースで、1着賞金が3億円、2着でも1億2000万円と高額なのに出走しようとしないのは、前述した理由からでもあるのだが、来ても日本の馬に勝てないからだ。
その意味では、ジャパンカップ創設時にかかげられた「世界に通用する強い馬づくり」という目標は達成されたと言える。日本馬が世界水準にあることは、近年のドバイや香港の諸競走の結果や、ディアドラのヨーロッパでの活躍なども示している。
人も馬も国際化が格段に進んだ。
また、「本場・欧米」に追いつき、追い越そうとする過程で、人馬の行き来が盛んになるなど「国際化」が進んだ。その証と言えるのが、今年のジャパンカップに出場する外国人騎手のラインナップだ。
凱旋門賞6勝を含めGIを250勝しているランフランコ・デットーリ、23歳で英国リーディングとなり、その後GIを100勝以上しているライアン・ムーア、仏国で10度リーディングとなったクリストフ・スミヨン、ゴドルフィンのファーストジョッキーであるウィリアム・ビュイック、今年大差で初の英国リーディングとなったオイシン・マーフィー、そして、JRAの騎手として活躍しているクリストフ・ルメールとミルコ・デムーロという、超豪華メンバーである。
ジャパンカップは、原案では「東京インターナショナル」というレース名だったということだが、文字どおり、インターナショナルな華やかさとなった。迎え撃つ日本勢も、武豊、横山典弘、川田将雅、岩田康誠ら、一流が揃った。