One story of the fieldBACK NUMBER

窓越しの少年はいつもうつむいて。
大船渡が佐々木朗希に見た夢。(上)

posted2019/10/18 20:00

 
窓越しの少年はいつもうつむいて。大船渡が佐々木朗希に見た夢。(上)<Number Web> photograph by Shigeki Yamamoto

ドラフト会議用の記者会見場に入る佐々木。学校ではなく、三陸町にある公民館が使用された。

text by

鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

PROFILE

photograph by

Shigeki Yamamoto

 ガラス窓の向こうに見える少年はいつもひときわ高い背丈をかがめるように下を向いていた。身長に比べれば極端に細い四肢が、彼をより自信なさげに映していたのかもしれない。晴れの日も、雨の日も、うつむきながら歩いているように見えた。

 

 大船渡高校は高台にある。港や商店街を見渡せるような、今出山へと続く斜面に建っている。その正門から急坂を下ったところに県道9号線が走っている。片側1車線の道の両側には新しい大型家電店やチェーン系飲食店、コンビニエンスストアと並んで、東日本大震災の被害をまぬがれた古い家屋や昔ながらのクリーニング屋、米屋、和菓子屋などが点々としている。

「千葉酒店」はその9号線沿いにある。高校から200m、歩いて3分ほどだ。地酒にビールに乾物、学校用品などが並んだ店内からガラス窓と国道を隔てた向こうに猪川小学校のグラウンドと校舎が見える。

 かつて佐々木朗希が通っていた学校だ。

東日本大震災の後、仮設住宅に引っ越してきた。

 店主・千葉信哉はまだ誰も、本人さえもその才能を自覚していないころから店のガラス越しに佐々木少年を見つめてきた。

「朗希のことはまだ小学校にきたばっかりの頃から見てるけどよ。まさかこんなすごい投手になるなんてな。今じゃ、もう口も聞けねえよ。朗希さまだよ(笑)」

 短く刈り込んだ千葉の頭髪はほとんど白くなっているが、浅黒い肌と笑った顔の屈託のなさがどこか少年性を感じさせる。

 8年前、東日本大震災が起きて数カ月したころ、佐々木一家がこのグラウンドに建てられた仮設住宅に引っ越してきた。

「お母さんと三人兄弟。朗希は学校が終わるといつも野球の練習に行って、泥だらけになって帰ってくる。最初はお兄ちゃんと一緒に行っていたけど、お兄ちゃんが中学に入ったくらいからはひとりで行っていた。暗くなるころにとぼとぼ歩いて戻ってきて、大きな体をかがめて、グラウンドのネットをくぐって帰っていく。あんな大きな体じゃあ仮設住宅は狭いんじゃねえのかなとか、思ったよ」

【次ページ】 少年にはどこか陰があった。

1 2 3 4 5 NEXT
#佐々木朗希
#大船渡高校

高校野球の前後の記事

ページトップ