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「2人の安藤」が戦った長い夏。
バスケW杯の敗北から持ち帰った物。
text by
石川歩Ayumi Ishikawa
photograph byAFLO
posted2019/10/13 09:00
安藤周人(右)と安藤誓哉(左)、2人の選手がW杯で感じたのは奇しくも同じ部分だった。
富樫勇樹の負傷と、PG争い。
安藤誓哉がジョーンズカップを終えて日本に戻るとすぐに、代表のポイントガードである富樫勇樹が、合宿中に全治2カ月の負傷をしたと伝えられた。
代表の絶対的な司令塔である富樫の負傷により、誰が代わりにPGを務めるのか、様々な憶測が飛び交った。そんななかでも安藤誓哉の目線は、W杯の試合に出ることに集中していた。
「代表では、(田中)大貴さんもPGでプレーしていたので、富樫選手が抜けても、単純に枠が1つ空いたという感覚は無かったです。A代表で試合に出ることを考えると、富樫選手が怪我をした、しないは関係なく結果を残さないとプレータイムはもらえないと思っていたから。
時間が空くとずっと(メンバーに入れるかどうか)考えていたけれど、結局はプレーでどう見せるかなので、目の前のことに全力でプレーしていました。最終メンバーに入ったと知ったときは、ホッとしました。ずっと、代表に入らなきゃ、入りたいって思いを持っていたので、これでやっとW杯のことに100%集中できる、やっとW杯のことを考えられると思いました」
強くなった、大舞台で戦いたいという思い。
しかしW杯初戦のトルコ戦、次のチェコ戦と安藤誓哉にプレータイムは与えられなかった。念願の日本代表のロスターに入っても出番がない。ずっと国際試合のコートで戦うことを願ってきた安藤誓哉にとって、こんなにきつい状況はないだろう。
「終わってみれば、僕は3番手のPGだったし、そもそも予選で1試合もプレーしていないので、HCの構想に安藤誓哉は入っていないんです。W杯で試合に出るというのは、ひとつひとつやっていった先にあるものだと思っていました」
W杯本番の戦術に組み込まれるためには、アジア予選から出場機会を得て結果を残す必要があったし、アジア予選に出るためには、Bリーグで存在感を出して最初からA代表に呼ばれる必要があった。
「もっともっと大舞台で戦いたいって、その思いは本当に強くなりました。そして、あの大舞台で戦うには、当たり前のように代表メンバーに入らないといけないし、どんな試合でもしっかり戦っていかないといけない。本当にひとつひとつを積み重ねないと、W杯のような大舞台は訪れない。自分自身で、常に上へ上へと思い続けないといけないんです」
W杯から戻ってきて約1カ月。安藤誓哉は、どうしようもなく出たいのに、どうしても出られなかった試合で考えていたことを、こんなふうに追想した。
アメリカに本気で勝ちにいくメンタルが必要。
安藤誓哉のW杯初出場は1次ラウンド3戦目のアメリカ戦、1Q3分46秒で4-18と大きく日本が点差をあけられている場面だった。
この試合で安藤誓哉は16分52秒のプレータイムを得て、2Pシュート3本、3Pシュート1本を放ったが得点することはなかった。安藤誓哉はアメリカを相手に、どんな気持ちで臨んだのだろう。
「多くの人が注目している特別な試合ではありました。みんな、自分の実力がどこまで通用するのかという気持ちで出ていたと思うし、僕も普段のプレーがどういうふうにできるんだろうって、それしか考えていなかった。もちろん攻めようとしていたし、打てるシュートは打ったけれど……。
トルコはアメリカとクロスゲームをしたし、(89-94でアメリカが敗れた)セルビアも本気でアメリカを倒しにいっていた。塁がどういうことを考えていたのか分からないけれど、自分の力がどこまで通じるのかではなく、本当にチームで相手を倒しにいくというメンタルが無いと、あの土俵には立てないと思った。国際大会のトップのコートに立つのは、本当にすごいことなのだと思いました」
5戦全敗の中で、安藤誓哉が見た希望。
その後の順位決定戦ニュージーランド戦で、安藤誓哉は13分20秒出場して3得点。モンテネグロ戦ではスターターで出場し、32分42秒出て6得点だった。
プレータイムが伸び、PGとして試合をコントロールする時間が長くなっていくにつれて、安藤誓哉は日本の戦い方に希望を見出していた。
「僕は、6月からずっと準備をしてきて、アメリカ戦からきちんとコンディションを上げていました。ニュージーランドとは(W杯前の国際試合で)2回やっているし、なんとかして勝ちたい、なんとかして僕のPGとしてのプレーをしようと考えていた。
W杯を通して、相手がどのくらいの力でやってきたのか分からないけれど、3Qまでは(自分たちのミッションを)コンプリートできた試合は少なからずありました。もちろん戦術や個人の技術の差はあるし、最後の最後に勝ち切る力が他国との大きなギャップかもしれないけれど、でも僕がやっていた感覚では、チームとしてもう少しケミストリーを高めれば戦えるんじゃないか。本当に40分間(集中力を)切らすことなくしつこく粘って、ハードなディフェンスをすれば、そこから戦えるのではないかと思いました」
安藤誓哉の念願が叶った国際試合の舞台は、国をかけての戦いと、選手同士の戦い、そして自分との戦いがあった。安藤誓哉が背負った日の丸は、どのくらい重かったのだろう。
「久しぶりのW杯出場で、たくさんの人が見てくれているのが分かっていたけれど、僕は日の丸を背負いきれていなかったのではないか、僕の背中はそこまで大きくなかったのではないかという思いがあって。
サッカーの試合を見ていても国際大会は勝利がすべてだと思っていたから、もちろんコートに出たら100%で試合をしたけれど、がんばっているだけではダメだと思いました。負け続けても落ち込んでいる暇は本当に無くて、すぐに国と国の戦いがやってくる。これが国際大会なんだって、自分で自分を鼓舞しながら、毎試合きちんとリセットをするように努力しました」