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「2人の安藤」が戦った長い夏。
バスケW杯の敗北から持ち帰った物。
 

text by

石川歩

石川歩Ayumi Ishikawa

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posted2019/10/13 09:00

「2人の安藤」が戦った長い夏。バスケW杯の敗北から持ち帰った物。<Number Web> photograph by AFLO

安藤周人(右)と安藤誓哉(左)、2人の選手がW杯で感じたのは奇しくも同じ部分だった。

「最悪だ。なにやってんだ自分って、自分を責めた」

 W杯の安藤周人の出場機会は、初戦トルコ戦で突然やってきた。3Q2分9秒、36-47で日本が11点ビハインドの場面でフリオ・ラマスHCに呼ばれた。

「大きな点差が開いていない時間帯で呼ばれたので、このタイミングで僕を呼ぶのかと思いました。呼ばれたからには何かしないといけない。コートでは無我夢中でした。

 まずはディフェンスから入ろうと思っていたけれど、すぐに僕のところにボールが来て、シュートを打たないといけなかった。今まで感じたことのない気持ちのままボールが来てシュートを打った。トルコ戦で僕のプレーはすごく迷っていたし、心臓はずっとばくばくしていました」

 安藤周人はトルコ戦に7分51秒出場し、3Pシュートを3本放ったが得点することはなかった。

「試合が終わって、最悪だって思いました。何やってんだ自分って、自分を責めた。あの日はずっと眠るまで、僕はここに何をしにきたのか問い続けた。1本目に放ったシュートのこと、ディフェンスのこと……もっとこうしたら良かったと思うプレーについて考えていました」

連敗の救いになった、HCと仲間の言葉。

 Bリーグではスターターで出てプレータイムも長い安藤周人にとって、試合のどこで出るか分からず、プレータイムも短いW杯はとまどいの連続だった。加えて、安藤周人にとって初めての大きな国際大会で日の丸を背負う重圧も重なった。

「日本代表は、背負っているものが違う。国をかけて戦うのは、なんというか……負けられない思いが強い。どの相手も国のプライドを背負っていて、絶対に負けられないという気迫がすごかった。僕は本当に場慣れしていなかったけれど、それでも、自分がどんな状況でも、国をかけて戦うとはこういう姿勢なのだと、すべての対戦相手に教えられた大会でした。

 1次ラウンド中にカジさんから、返事はいらないと前置きしながらメンタル面のアドバイスがあって、そのメールを見て気持ちが楽になりました。(張本)天傑さんには、助けてってテレビ電話しました(笑)。画面に名古屋のチームメイトが映っていて、『シュート入んねえな。でも頑張れよ』って笑いながら言ってくれて、変わらないみんなの態度に安心しました」

アメリカ戦を前に、『ジョーンズカップ組』は。

 1次ラウンド2戦目のチェコ戦はDNP、次のアメリカ戦で、安藤周人は6分のプレータイムを得た。

「アメリカ戦に向かうメンバーのモチベーションはすごかったです。できる限り、やれるだけやってやろうって。前日には、実際にチャンスは訪れなかったのだけれど、誓哉さんとアヴィのジョーンズカップ3人組でコートに出ることがあれば、何か爪痕を残そうぜって話をしました。

 トルコ戦の反省から、1本目のシュートはどんなマークが付いても強気で打つと決めていました。(八村)塁からパスをもらってコーナーから打ったシュートは、僕自身は入ったと思ったんですが、コロッと回ってリングから出てきた。得点はできなかったけれど、強気で打てたのでトルコ戦よりも気持ち的には良かったです」

 安藤周人のW杯初得点は、順位決定戦のニュージーランド戦。3Pシュート1本と2Pシュート1本の合計5得点をあげた。

「勝敗が決まっている時間帯の得点だったので、5得点してうれしいとかではなく、もっとやれることがあった、もっとディフェンスで貢献できたかもしれないという思いです。大会中は、自分のプレーって何だろう、シューターって何だろうと考えながら、もやもやした状態でいた。

 ニュージーランド戦でシュートが入ったことで、ごちゃごちゃ考えすぎで体が萎縮して、変なシュートフォームになっていたと分かった。考えすぎるのはあまり良くない、その答えにたどり着くのが遅かったんです。もっと早く気がついていれば、結果は違ったのかなと思います」

【次ページ】 日本人相手の3P成功率とは意味が違う。

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